「恐怖」を克服する方法(自分レスキュー4)

仕事に向かうとき、少し「怖さ」を感じるときがあります。たとえば「クレーム処理」や「謝罪」が、今日の仕事だったりする日は、「今日は失敗できないな」と自分にプレッシャーをかけてしまい、「怖さ」に体が硬くなり、表情が暗くなることもあります。そんなとき、数年前、はるさんから「恐怖を克服する」チェアワーク(椅子の療法)をしてもらった日のことを思いだします。

その日の私は、怒りをぶつけてくる人への「怖い」という感情が大きくなりすぎていました。いますぐ遠くまで逃げ出したくなるような、ひりひりする気持ちを抱えながら、震える手ではるさんにメールを送り、「自分レスキュー」カウンセリングの申し込みをしたのです。

急な依頼にも関わらず、はるさんはすぐに来てくれました。その日の私を放っておくことに彼女は何らかのリスクを感じたのかもしれません。思えばその日の私は、自動車の運転をするのも危ないくらい、心が動揺していました。

なんとかカウンセリング・ルームに無事にたどりついた私に、はるさんはこう宣言しました。「今日は『恐怖』を取り除くワークをします。」

私の中で暴れていた『怖い』という感情は、泣き出したくなるような心の激震でした。みじめな私は、この世の中にたったひとり放り出され、孤独な実験用モルモットのように、逃げ場を失って檻の中を駆けずり回るような、情けなく絶望的な気分に襲われていたのでした。

目の前におかれた「椅子」が意味するのは、その日の私が「怖い」と感じた相手でした。怖くて怖くて、まともに目を上げることさえできません。私はかぎりなく孤独で、誰も助けてくれません。この世には、誰ひとり私を守ってくれる人はないと感じ、震えながら私は泣いていました。

はるさんは私にこう問いかけました。「あなたのことを励まし応援してくれる人、つまりあなたの味方はいますか?」と。考えた末、私は首を横にふりました。私が良い子じゃなかったから、私は親の期待に応えられなかったから、両親から見捨てられた子だから、私には味方がいないのだ と思いました。そのさびしさ、その不安と恐怖に私はうちのめされていたのでした。

はるさんは重ねて訊きました。「あなたを愛し、あなたを守り、応援してくれる人、もう亡くなっている人でも良いんです。いませんか?」私は、一生懸命考え、世界のすみずみまで探しました。この世の人でなくても良いのなら、わずかに三人、私には味方がいると思いました。

私が12歳のときに亡くなった、仏さまのように優しかった祖母と、もうこの世の人ではないけれど、優しかった伯父、そして伯母、私を守り、私に微笑み、私を許し、励ましてくれた人たちの、それぞれの顔を思いだしていました。

はるさんは言いました。「ほら、あなたには、あなたのことを守ってくれる味方がいます。その伯父さんやおばあさんや伯母さんが、あなたの『理想の両親』です。ここにあなたの味方がいます。こっちにはもうひとり、ほらね」と言いながら、はるさんは、私の両方の肩を、やさしく温めてくれました。「あなたの『心の両親』です。あなたのことを怖がらせる人は、この人たちが怒ってくれます。大切なあなたを怖がらせて!卑怯だぞ!悪いぞ!けしからんって怒ってくれます。そしてあなたを守ってくれますよ。」

「安心してください。世界には、あなたを怖がらせない、優しい味方がいるんです。大丈夫ですよ。あなたを怖がらせる『卑怯な人たち』なんて、何の価値もありません。」

そう言って、はるさんは目の前にあった「怖い人」の椅子を、つっついて転がして見せてくれました。今まであんなにも「怖い」と感じていたその椅子は、無様に床に倒れ、情けない姿を見せてくれました。

私の両方の肩は、イメージの力で温まり、肩を抱いてくれる優しい味方に守られていました。私には守ってくれる味方がいる、としっかりイメージしながら相手に向き合うと、不思議と自分が孤独ではなく、大きな力を持った勢力の一員であるように感じました。こうして私は、「怖さ」を、ゆっくりと手放すことができたのでした。

あれから数年たち、人間関係で恐怖を感じるたびに、私はあの日のワークを思いだします。その時感じた「『こころの中の理想の両親』に両肩を抱かれ、守られている感覚」を思いだし、心に蘇らせることで、自分の向き合っている「恐怖」が、張子の虎のように、からからと音をたてる軽い存在に変わってくれるのです。

「恐怖」で支配しようとする人に限って、実は自身が不安や恐怖に悩まされていることが多いものです。本当の大人なら、誰もが知っている「この世の真実」ですが、そこにやっと気づかされた、あの日の「自分レスキュー」は、それから時間が経つごとに、私の中から確実に「恐怖」を追い出してくれました。そうするといつのまにか、「その種の人たち」のことを考える時間が減りました。「怖くもないしどうでもいい」という対象に格下げされたのです。「恐怖」にこころが引き寄せられなくなったのでした。

「恐怖」は、身を守るために必要な感情ですが、必要以上に感じすぎて、軽いパニックになってしまう、かつての私のような人には、「不要な恐怖をなくす」ことが人生を楽にするのもまた事実です。

特に私のように、「恐怖心でコントロールする」という躾を両親から受けた人にとって、「『自分自身で決める想像上の両親=イマジナル・ペアレンツ」を設定すると言う方法は、恐怖を克服するうえでかかせません。だまされたと思って、一度、ぜひ試してみませんか。

 

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