丸刈りの短髪が、不器用に伸びかけています。3年間着続けた学生服は、あちこち擦り切れて光っています。彼らが私のもとを訪れるのは、一年のうち、この時期だけです。
「体育大学に入学したい」という進路希望を持つ彼らが、この時期になると一生懸命作文を書いて持ってくるのです。
ただ 今年の秋は、いつもと様子が違うのです。体育の先生になったり、スポーツトレーナーをめざしたりという未来を語る彼らのトーンが、去年までの高校3年生とは違っています。
「多くの人にスポーツのある健康な生活を広めたいです」そう彼らは言います。今年の彼らには「勝利を目指す」というこだわりがないのです。その目に、偽りや建前のくもりは感じられません。世界中が病に苦しんだ今年の経験が、彼らをそんな風に変えたのだと思います。
去年までの多くの高校3年生の言葉はこうでした。「『勝つこと』を目標とし、結果を出してきました。大学生になっても「勝利」をめざします。将来 部活動の指導者になっても『勝てる』チームを作ります。」
けれど今年、コロナ禍によって、インターハイがなくなり、今年の高校生はたとえ県大会で優勝しても、上位大会を失ったまま機会を与えられずにシーズンを終わってしまいました。結果を出そうにも、今年の彼らにはチャンスがなかったのです。
また、彼らは、来年も、さ来年も、全国大会や世界選手権や、オリンピックが開催されることをこころから信じることができないでいるようなのです。もちろん私たちにも「来年こそ大丈夫。」と言える人は、ひとりもいないのです。
「勝利をめざすことが、意味をなさない」そういう時代が訪れているようなのです。
それでも、彼らはスポーツを生業とするのです。こんな時代であっても、むしろ こんな時代だからこそ、スポーツの素晴らしさを次の世代に手渡すために。
「勝つことよりも、生きること」に本気になる時代が来たのです。この厳しい時代を、ひとり一人が、孤独に耐え、心と体を強く持って、しっかり生き抜くこと、そのために、心と体を健康に保つこと、いまほどそれが必要とされている時代はないことに、彼らは気づいているのです。
彼らは、練習に明け暮れた十代を、炭酸飲料やスナック菓子を禁じられ、自分の体の状態をベストに保つことを教えられて育ち、いつしかそれが当たり前の習慣となっていました。
添加物の多い食べ物や、着色料の入った飲み物を求める気持ちももうなくなり、たとえ独りきりであっても、毎日体を動かすことが当たり前となりました。生き抜くことが難しいこれからの時代をサバイブするために必要なノウハウを身に着けたのは自分たちであり、多くの人に それを広めることが使命であることを、彼らは知っているかのようでした。
130年前に創立された日本体育大学は、当時『體育富強之基』(体育は富国強兵の基本である)という建学の精神を掲げていたといいます。外国と闘って勝つ強い兵力を目的として掲げた精神は、今世紀に入り、「真に豊かで『持続可能な社会の実現』には、心身ともに健康で・・」と、その解釈を変えています。『持続可能な社会』・・・ずっと先の未来にも、人々の幸せを支えることができるのは、健康な心と体なのだというわけです。そこには「勝つ」だとか「強い」という言葉は、いっさい見当たりません。
かつて国と国とが諍いを起こし、「勝つ」ことをめざした時代がありました。スポーツで勝つことが、国威高揚につながった時代もありました。
でも もしも これから先に国際試合の開催さえも難しい時代が続くのだとすれば、それらはすべて前時代的な、歴史の中の記憶と化すのでしょう。
もはや「勝つこと」なんかをめざすのは、旧い時代の、狭くて幼稚なゲームに過ぎなかった、と振り返る時代が、すぐそこまで来ているような気がします。
「勝つことよりも、生きること」そのために智恵をしぼり体を鍛えること、そういう風にスポーツの真価もまた、新しい段階に入っているような気がするのです。
背中を丸めて作文用紙に向き合う彼の、今シーズンの喪失体験が、決して無駄ではなかったと信じています。未来の彼らには、もっともっと大きな 人類のための使命が待っていることを、私は予感しているのです。