犬と暮らせば  その7

玄関のスペースから、一切の靴たちが姿を消し、使い古しの毛布が敷かれました。あの日を境に、そこはベルと5匹の仔犬たちの住みかとなったのでした。

不思議なことに、仔犬たちは母親の乳房に全員同時に吸い付き、全員同時にことんことんと眠りに落ちました。私たちは毎日毎日このかわいらしい様子に目を奪われ、ちょっとずつ違う体の模様や、毛の生え方、性格や顔つきに応じて、呼び名をつけてかわいがりました。黒に白いマフラーというよりも、白色がちのパンダ模様のこには「パンダ」、ワイルドな毛の生え方のこには「チューバッカ」、頭の上の白い部分に黒いポイントがついているこには「チョボ」というぐあいに です。

ベルは、私たちが仔犬をさわったり持ち上げたり、ひっくり返したり、好き勝手にいじりまわしても、全く抵抗しませんでした。家族を信頼してくれていたようでした。私たちはかわいい仔犬たちが、日々成長し、ますます可愛くなる姿を、その甲高い声を、その柔らかく温かいふわふわとした感触を、存分に楽しませてもらうことができました。

ただ、どんどん大きくなる犬たちを、ずっと飼い続けるのは無理なこととわかっていました。さすがに6倍の多頭飼いをするほどのスペースも余裕もお金も我が家にはありません。ベル一匹で精一杯だということは、家族みんなが気づいていました。わかっていながら手放すのはさみしい、さみしいけれど手放さなければ恐ろしいことになる、私たち家族は、その複雑な思いを共有する家族会議を毎日くりかえしました。

誰が言い出したのか、「新聞の『ゆずります』コーナーに記事をのせてもらおうよ」ということになりました。電話で問い合わせると、短い文章なら2000円で載せてくれるというのです。

「かわいいMIX犬の仔犬ゆずります。母犬はボーダーコリーです。連絡先は下記の電話番号まで・・・・・・」

掲載した日から、家の固定電話に、じゃんじゃん電話がかかってきました。「オスが欲しいんですけど」「女のこで」「どっちでもいいんですが」「一度お顔を見におじゃましてもいいですか」「キャンセル待ちで構わないので、連絡ください」・・・・。思いもよらぬ反響に、私たち家族は舞い上がり、毎日4人でわぁわぁと盛り上がって、「仔犬を欲しいと言ってくれる人たち」のことを噂しました。都会のマンションに住んでいる人、牧場の人、農家の人、かなり遠方からでも、仔犬のために来てくれる人たちを迎えることになり、我が家の玄関はますますにぎやかになりました。

それと同時期に、ベルの方では子育てから卒業する時期が訪れていました。ベルの体から母乳が出なくなったのか、仔犬たちに歯が生え始めて授乳に痛みを伴うようになったのか、そうっと立ち上がって逃げるようになりました。痛いからと言って仔犬を追い払ったりせず、自分がしおしおと逃げてしまう母親のベルの優しい性格が不憫でした。完全に子どもたちに気おされていました。仔犬たちはますます元気、どんどん走り回って、ドッグフードをお湯でふやかして離乳食を作れば、争って食べるようにもなりました。

お別れの時期が来ているのだと感じました。やがて申し込んでくれた里親さんたちが、それぞれお気に入りの仔犬を迎えにやってくるようになり、一匹、また一匹と仔犬たちは減っていきました。仔犬をひきとるためにやってくる人たちは、どの家族も本当に嬉しそうで、新しい家族を迎える意欲と愛情に満ちた表情をしていました。私たちも情が移ってしまったかわいい仔犬たちを、だからこそ安心して手放すことができたのです。

最後の仔犬が、無事に新しい飼い主のもとへもらわれていき、ベルと、私たち家族は、もとどおりの一家になりました。

「ベル、ベル、あれ?、誰もいなくなったぞ?おかしいなあ?って思っとるやろう?」夫が笑いながらベルに話しかけます。子どもたちは「ベルさみしいか?」と問いかけます。でも、私には、ベルが、子育てを成し遂げた達成感と安堵感で満ち足りているように思えました。

ベルの突然の出産から、3か月が経っていました。嵐のような毎日でしたが、いま思い出すと楽しい日々でした。命を産みだしてみせてくれたベルに、いまは「ありがとう」という気持ちしか浮かびません。

あの日、ベルのへその緒を切ってあげたキッチンばさみは、その後どうなったかというと・・・。

ハッと気づいて慌てて煮沸したはずみに、樹脂でできた持ち手の部分が、熱でとけて変形したまま、なぜか捨てる気になれなくて、今でも我が家のキッチンの壁を飾っています。

思い出が素敵すぎると、煮とけたキッチンばさみでさえ、手放しがたい記念品になるのです。

2 Replies to “犬と暮らせば  その7”

  1. なんて素敵な、ドラマチックな出来事。今の時代、特に都会では外飼いのペットは見かけないので、飼い犬が知らぬ間に子を宿すなんてことは滅多にないことで、想像すらしたことがありません。そして、ペットが異常人気になった頃から、去勢・避妊することが当たり前みたいなご時世なので私も必ず犬が6ヶ月になると手術を受けさせます。この子の子供を見てみたいと思ったこともあるけれどね。
    子犬の可愛さは桁違いだよね!!あっと言う間に過ぎてしまうんだけど。
    犬であれ何であれ、命を預かることは大変なことだし、規制されることもたくさんあるけど、癒され、教わることも多く、無償で飼い主を心から一途に愛してくれる姿に何度涙したことか・・・。

  2. 素敵な思い出を私もその場にいるように想像しながら読まさせていただきました。子どもがいなくなったら母親犬は寂しかろう…と思い込んでいましたが、子育てを終えてほっとした・・・、達成感・・・、確かにそういう気分かも・・・、と思いました。自然界で過ごしていると母親は子どもを突き放して自立させますよね。寂しい、というより、さあ、今からは自分たちで生きていきなさい、十分大きくなったよ、頑張って!という気持ちなのかな。素敵な文章も相まって、情景を思い浮かべながら、私もずっと前に飼っていたセキセイインコのピーコちゃんのことを思い出しちょっと切ない気持ちになりました。

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