ずっとずうっと遠くへ行きたい
こどものころから、「ここではないどこかへ行きたい」と、願う思いが心のどこかに、いつもありました。
初めて一人旅をしたのは、小学校3年生の秋でした。一人でバスに乗って、母方の親戚の家に一人で泊まりに行きました。
教えられた名前のバス停で降り、すぐに迷って、どこかの軽トラのおじさんに道を尋ねて、親戚の家まで乗せてもらったのを覚えています。おじさんは、「家出少女かい」と あきれていましたし、心細くもありました。
そもそも、なぜ私は、一番下の子どもなのに、ひとりであんな遠くに行かされたのでしょう?よく思い出せません。
「行きたい?」と母に聞かれ、「うん」と答えたのは、まちがいないのですが。
母方の実家から田舎の秋祭りに誘われて、二人の姉が嫌がったために私が代表で行かされたような気もします。それでも、私にはあざやかな思い出です。山道に続く夜店や、獅子舞や、優しくしてくれる親戚の人たち。一生懸命気を使って遊んでくれるいとこたち。
今はもう寂れてしまった田舎の山奥に、なんだってあんなにたくさんの人々がいたのでしょう?
あの山奥には、かつて鉱山で栄えた過去もあると聞いてはいましたが、それももう 幻のような伝説になってしまいました。
「千と千尋の神隠し」の世界をたずねて 台湾の九份の街を歩いたとき、なぜか懐かしい気持ちになったのは、あのときに見た、山の中の石段の、両脇に並ぶ夜店の闇の中から浮き上がる灯が、こころのどこかに残っていたからかもしれません。
そういえば 私は、親戚の、こどものいないおばさんにも声をかけられ「うちの子にならんね?」と言われたものでした。
その度に、私は よそのうちの子になることを こころの中でイメージしていたものです。汽車の窓から クルマの窓から よそのうちの家を眺めて 自分がそこのうちの子だったらどうだろうと、想像するのが好きでした。
だからでしょうか。私は、ここではないどこかに、私のいるべき場所があるはずだと思い決めていたような子どもでした。
だからでしょう 1986年を迎え、二十歳を過ぎるころ、強烈に「ずっと遠くに行きたい」という思いを募らせたのは。
「就職したら必ず返します」と2人の姉に借金を申し込み、一か月のホームステイでイギリスに行ったのは、でも、今思えば、若さからくる無謀さも味方していました。どこかで「どうにでもなれ」という乱暴な行動力をもっていた私は、まったく何も恐れていませんでした。
1985年の夏に、大きな飛行機事故があっても、東欧で日本人の女性が行方不明になったという噂が流れても、私には不思議と何も怖くありませんでした。
ともあれ、中学生レベルの英語しか話せないのにも関わらず、持ち前の図々しさを発揮して、私は親切なイギリス人の一家のもとで、一か月間の間、家族のように過ごしたのでした。
「よその家族の一員となる」・・・結婚する前にそんな体験をしたことは、今思えばひどく独特の、でもとても貴重な体験でした。
この一か月間で味わった、数々の「おどろき」が、私のその後の人生に大きく影響を与えたことは、まちがいありません。