船を下りる時

今朝の毎日新聞の「人生相談」の欄に目がとまりました。

「20年以上、両親の経営する町工場ではたらき、父からモラルハラスメントを受けていることを最近自覚した」という妻子ある44歳の男性の悩み相談に です。

44歳・・・・そのくらいの年齢で私も気づきました。逆に言うと、その年になるまで、なぜ自覚できなかったのでしょう。

私は こころのどこかで両親に期待して 長年待ったのでした。この相談者の男性もそうだと思います。どんなに両親からモラルハラスメントを受けても、支配的に扱われようとも、「大人になれば自分だっていつかは親から人として尊重してもらえる日がくるかもしれない」という祈りのような思いを持ち続けていたのでしょう。

44歳、ようやくそれくらいの年齢になってみて、「親との関係は、大人になっても変わらない、これからもずっと変わりそうにない」と思い至り、「親からのこの扱いは、大の大人が受けるべき扱いではない」と気づき、親に期待することを諦めたのでしょう。

これに対する、高橋源一郎さんの回答はあざやかでした。

「『家』というものは、動かしがたい永続的なものではなく、ある一定の期間『家族』という同じ船に乗り込んだ乗員たちの共同プロジェクトである。一つの船に乗り合わせた家族は、やがて子どもたちが成長する頃、別の港にたどり着き、子どもたちはそこで下船します。そして、前の船で子どもだった者たちは、成長して大人になり、時には見知らぬ誰かと、時にはひとりで、次の船に乗るのです。・・・もういいでしょう。船を下りる時が来たと思います。幸いパートナーの協力も得られるなら問題はありません。別の船に乗り、あなたたちの航海を始めてください。モラハラやパワハラは、いつしかそれを受ける者の精神をむしばみます。そんな船に、あなたの大切な人たちを乗せるわけにはいきませんよね。あなたたちが下船して、空っぽになった船の中で、ぼうぜんとして初めて、大切ななにかを失ったことに、父親は気づくことになるのかもしれません。だとするなら、この「下船」は、子どもであるあなたから父への贈り物なのだと思います。」

私が「船を下りた」のは、2012年、46歳の春でした。ふりかえってみても、あのとき下船して、ほんとうによかったと思います。

息をするのもつらいほど苦しんでいた私が、最後の力をふりしぼって船を下りた。あのとき初めて、「自分を生きる」一歩を踏み出したのだと思います。そしてそれは、大切な人をまもるための闘いでもありました。

「人生において、誇れること」を、ひとつだけあげろと言われれば、私は「あのとき船を下りたこと」と答えます。

そこからの航海は それまでとは、まるで違う輝きを放つものでした。一日一日が愛おしく、鮮やかに色づいた日々、何気ない毎日が、生きている自分を実感できる時間の連続です。

新しいこの船旅を、大切に生きたいと思います。

下船するこどもたちも、笑顔で見送りましょう。

穏やかに進む船 広がる新しい地図 舵をとるのは私です。

 

 

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