続・自分レスキュー その2(インナーチャイルド)

12年も通った美容室なのに、奥にある個室に入ったのは初めてでした。ふかふかの椅子に沈み込み、目を閉じて、心の中のイメージの世界に、私は入っていきます。

私は、幼い私に、もう一度会いに行ったのです。険しい表情の母に背を向けて、うつむいている5歳の私でした。

チエコさんは、インナーチャイルドの私を見守る私に問いかけます。「お母さんは、どうしてあなたに優しくできなかったのでしょうか。お母さんに、あなたがきいてみてください。どうして優しくできなかったの?って」

私は、一瞬考えました。

不思議なことに、そこで生まれて初めて、私は、母にも、傷ついた子ども時代があったのかもしれない、ということについて考えたのでした。

母は、なぜあんなにも姉たちを大切にできたのに、末娘の私だけ、愛せなかったのか、父はどうしてあんなにも未熟な人だったのか、2人はなぜそんなにも「男の子をもつこと」にこだわったのか、なにが彼らをあんなにも追いつめたのか。2人を突き動かした「コンプレックス」はなんだったのか・・・。

外から彼らを見つめる「魔法の目」を与えられた私は、不思議なことに、すらすらと、チエコさんからの質問に答えていました。「母もまた、愛情に飢えていた人だったからです」「母は、実家の末っ子だった自分の妹に、若いころから嫉妬していたからです」という真実によって。

実は私の母には兄と姉と妹がいました。その兄と姉とを慕いながら、彼女はなぜか妹には対抗心を持っていたようでした。昔、私がまだ子どもの頃、親戚の集まりで、母の妹であるその叔母は、私ににこやかに語りかけてくれました。「私たち同じ干支 巳年だね、巳年はね、お金の心配がないらしいよ」と。同じ末っ子同士、仲良くしようね、というような明るい人でした。

母はしかし、その叔母に対して、冷たく高圧的に、むしろ攻撃的にあたっていました。

明るくて甘え上手なその叔母(母の妹)は、思えばいつも母の嫉妬の対象だったのでした。母の妹は、母が行きたくて行かせてもらえなかった女学校に行かせてもらったそうです。小さいころから、ことあるごとにその恨み節を聞かされて育った私は、今になって初めて、彼女のなかにある「妹への嫉妬と、『自分は愛されていない』という不全感」が、末娘の私への子育てに影響したことに気づいたのでした。

「末っ子はずるい、だから攻撃してもかまわない相手だ」というメッセージを体現しつづけた母の娘である姉たちは、ただ母親の気持ちを汲み取って、末の妹の私に接していただけなのでした。「末っ子いじり」という家族ゲームの発端は、世代をさかのぼった昔々に、始まったのでした。もちろん、私には責任のないところで。

全てが見えはじめた私にとって、母はもう、私を愛してくれなかった人ではなく、自分の人生の不全感を子育てに投影させてしまった人、という風に変化していました。私の中で、怖かった母は、愛情不足の可哀想な少女になりました。  イメージの目で、もとをたどっていくと、行きたかった女学校に行かせてもらえず、悔しくて泣いている少女にたどり着くのでした。

気が付くと私は、心の中で、今は亡くなった祖父に会いに行っていました。母方の祖父は、生前よく話をしてくれた人でしたので、イメージの中でも私の話を聴いてくれました。私は彼に語りかけました。「おじいさんが、中の娘に女学校への進学を許さんで、末娘だけ女学校に行かせたことで、その愛憎は孫の代まで影響するんよ。たのむから中の娘に、ごめんねと言ってやって、優しくしてやって」と。祖父は、ただ黙って深くうなずいてくれました。

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