祖母の記憶をたどると、手をあわせ、祈る姿が浮かびます。
彼女は、仏壇や道端のお地蔵さまにお花をあげ、祈りをささげる人でした。なぜそんなに「あの世」に心を寄せていたのか、そのころの私には理解できませんでした。
後年知ったことなのですが、彼女はその生涯で九人もの子を産んだにもかかわらず、死産や病気や事故で子を亡くし、無事に大きくなったのがわずか三人、つまり私の父と、父の兄、そして父の妹だけでした。そしてその唯一の娘も二人の子を残し30代でなくなりました。
明治生まれの祖母は、戦前、戦中、戦後を通して生きるなかで、夫に先立たれただけでなく、15歳から九回産んだ我が子のうち、7人に先立たれ、逆縁の悲しみを味わいつくした人だったのです。
彼女の心は「あの世」の人にとても近く、毎日手をあわせ、語りかけることは、ごく自然なことだったのでした。
そして祖母が、孫の私を「いい子」でなくても、「男の子」でなくても、ただ命があるだけで、無条件に受け入れてくれ、慈しんでくれたことを思うとき、彼女の人生の底辺に流れる、喪失からくる悲しみに、感謝せずにはいられません。かりにそれが、どんなに罪深く不謹慎な感謝であっても、私にとっては救いとなる希少な愛でした。
幼い私と年老いた祖母、互いの人生でわずかな時間しか共有できないからこそ、その縁は、いと「おしい」のだと思います。
祖母は、私が12歳の初夏に亡くなりました。その翌年、私が修学旅行で出会った「仏像」に一目ぼれすることになるのは、偶然でしょうか。
仏像、とくに菩薩の姿を見るときの、あの懐かしさ、何もかもを包み込んでくれるような感覚に、今でも既視感を覚えます。
「かなし」という古語は、「愛し」と書き、意味も同じです。この世の悲しみを知る人は、命のかけがえのなさとほんとうの愛を知るのでしょう。あの古語を高校生で学んだ時にも、祖母のことを思い出しました。