今日の画像は、ある高校3年生による作品です。
湧きだす白い雲と、水面に反射する美しい虹色の光に、吸い込まれるように目を奪われてしまいます。しばらくみつめた後、その作品から手を離して彼女に返してしまうのをさびしいと感じました。「この絵を見ていたい、できればこの絵の中の世界に行ってみたい」と思いました。この作品には、私のこころを惹きつける力が備わっていたということなのでしょう。つまり彼女は、高校生でありながら、すでにクリエイターなのだと思います。
「水平線に見える光と雲と空と海を、現実にはないような幻想的な風景を、描いてみたんです」作品について説明する彼女の目の輝きに、今まで知らなかった彼女の「本当の顔」を見せてもらった気がしました。彼女は、日ごろの学校生活では、自分から話をすることは多くない人でした。
彼女のようなタイプの若者を、ときどき見かけます。「ひとつのことに熱中すると、何時間でも集中して作品作りに入り込んでしまいます」と、彼らは言います。つまり、文字通り「寝食も忘れて」集中するのです。この世を善いものにするために、天が彼らに才能を与えたのでしょう。
伝統工芸や、手作りの品々が暮らしの中心だった時代には、こうした人々が「職人」として多く求められ、人々の感謝と尊敬を集めながら生活の糧を得ていたのでしょう。
けれど、大量生産、大量消費の時代を迎える頃から、「職人」や「ものづくり」や「クリエイター」と呼ばれる人々の居場所は狭くなり、「集中して何時間でも自分一人で作品作りに没頭する」というタイプの人々にとっては窮屈な世の中になってしまいました。
最近では「コミュニケーション能力」が社会に出るための大切な素養とされ、すべての子ども達の必修課題であるかのように「人間関係能力」や「プレゼンテーション能力」を重視する学校教育が中心となりました。こういう空気感もクリエイタータイプの彼らには、息苦しい環境だと思います。
しかも、学校の生活は、45分か50分の時間枠で勉強したら、すぐに他のことをしなくてはなりません。集中して絵を描いて、その世界に入り込んでいた子どもに対して「なにしてるの? 次は体操服に着替えて体育館に行くんだよ。他の子はもうとっくに片付けて行っちゃったよ、早く!絵の具を片付けて!着替えて!」と急かさなければならないのは、決して学校の先生の責任ではありません。けれど、「クリエイター」の資質を持つ子どもにとって、そういう「45分刻みの」教育システム自体が、心身を疲れさせ、集中力を寸断し、才能を折り取る装置になっているのが残念な現実なのでしょう。
『生まれ出づる悩み』という、有島武郎の(未完の)小説を、学生の頃、教科書で読んだことがあります。画家としての才能を与えられ、情熱を持ちながらも、生活の糧を得るために漁師として働き、生活に埋没せざるを得なかった青年の姿が印象的な作品でした。
ちょうど100年前に書かれた「生れ出づる悩み」の時代、天才たちの創作活動を妨げるものは「貧困」であり「生活」でした。当時の天才たちには、学校に通うことさえ許されないほどの劣悪な生活環境に圧迫されていた若者が少なくなかったのでした。
100年後の今世紀、社会は豊かになり、子ども達はみな「学校」に通うことが当たり前の時代になりました。けれど、「クリエイター」の卵たちの才能開花を妨げているものが、恵まれたはずの「学校のシステム」なのだとすれば、あまりにも皮肉な現実だと思います。
「伝統」と「前年度踏襲」という言葉によって、永年変わることなく支えられてきた「学校システム」ではありますが、コロナ禍の影響で、人々の考え方、生き方が、大きく変わるときを迎えました。学校のあり方も、根本から問い直されるときが来ているのかもしれません。ひとりの先生が40人の子どもに画一的に教えるために、子どもの個性を無視さぜるを得ないような、これまで通りの低予算のシステムが、これからも通用するとは、到底思えません。もっと多くの先生が、もっと少人数の教室で、子どもの性質に合せたしなやかなやりかたを許してあげられるようにしてほしいと思うのです。
「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのでもない。唯一、生き残るのは『変化』できるものである。」とは、『進化論』を遺したダーウィンの言葉です。変化するべきときに、変化しなければ、生き残ることはできない、それはまさに「今」なのでしょう。今、この時代に「変化」することのできる「学校システム」だけが、未来に生き残るのではないでしょうか。
WEBデザイナーをめざす彼女もそうなのですが、多くの若者たちこそが 新しいデジタル技術を私に教えてくれる「先生」なのです。彼ら若者の方が、長く生きた私よりもずっと、時代に即して生きる術を知っている、そんな逆転が次々に起こり始めています。そんな「時代の大きな曲がり角」を見つめながら、恐れないで「変化」を受け入れて行こうと改めて思います。