海辺の町に引っ越して、しばらくしたころのことでした。小学校3年生の私にある日、父は おつかいを命じました。「ご近所さんに大切な書類入りの封筒を持っていく」というお役目でした。そのお屋敷のご主人は、このあたりで有名なお医者さんで、保健所の所長を兼ねている人でした。
その家には、巨大な犬が飼われていました。父は実は自他ともに認める犬嫌いでした。子どもの私の方が犬への恐怖心がないから、却って大丈夫だと考えたのでしょう。「あの家には大きな犬がいるけれども、つないであるから大丈夫、吠えるだけだから 怖がらないで呼び鈴を押して、この封筒をわたしてきなさい」そう父に言われて、私はひとりででかけて行きました。
本当に、今思えば、私はなんでもかんでも嫌がらずに、ふたつ返事でひきうける子どもでした。返事は「はい」か「いいよ」か、それしか知らない子どものようでした。
その大きな屋敷の、「猛犬注意」と示された門扉を開けて、勇気を出して一歩踏み入れたときのことでした。うっそうと樹木の生い茂った広い庭の奥から、吠えながら走り出てきたのは、それまで見たこともないような巨大な犬でした。小学校3年生の私の身長を、はるかに超えて覆いかぶさると、あおむけにひっくり返った私を上から押さえつけて爪をたてました。「侵入者を取り押さえました」というお手柄を訴えるその犬の吠え声に、家の人が慌ててかけつけ、泥だらけで怪我をした私は、かろうじて救出されたのでした。そのとき、自分が声を出していたのかどうかも、まったく記憶にありません。
その後、私の怪我が治るまで、その犬の飼い主であるお医者さんが、毎日毎日、包帯を替えるために家に通ってくれました。彼は外国製の高いチョコレートを持ってきてくれました。子どもである私には、被害者意識ではなく、高いチョコレートをもらって上品なおじさんから大切にされた記憶に塗り替わっていました。私の中にある犬の記憶は、そのときが最後でした。以来いっさい犬に近づかなくなったからです。
「犬への恐怖」それだけが私に残ったのだと永年思ってきましたが、本当は、あの日の記憶をたどると、ちがう思いが埋まっていたことに気づきます。それは、「父への失望」です。
自分が犬を怖れていたために、末の娘を自分の代わりに行かせ、娘が犬に襲われたとき、彼は何を思ったのでしょうか。父は私に言葉もかけず、相手のお医者さんに対して、なぜかひどく恐縮していました。
「私の父は勇気のない人だ」と、いま私が思うのは、彼が「犬を恐れた」からではありません。「娘を守らなかった」からではありません。「娘を傷つけた犬や他人に怒りを見せなかった」からではありません。
私が父について思うのは「何があっても『娘に頭を下げて謝罪する勇気をもたない人』だった」ということです。
あの日も、あの日以外の人生のどの場面でも、私は彼が私に対して、世の中の誰に対しても、しっかりと誠意をもって謝罪した姿を見たことはありません。そしてそれは娘である私自身の自尊心を育てなかっただけでなく、結果として、彼への私の尊敬を損なうことにもなったのでした。
やがて怪我が治ると同時に、何事もなかったかのように、日常が戻ってきました。ただ「犬への恐怖」だけは、父から娘へ、見事に引き継がれることとなったのでした。