切り株のふもとで、群れて遊びまわる子どもたちの、一番うしろにくっついていた幼いころのことでした。子どもたちは「秘密基地」で、どこかから来た野良の子犬にえさをやり手なずけて内緒で飼い始める、という遊びを覚えました。その子犬は茶色の雑種で、子どもたちはその犬を「ペス」と呼んでいました。やがてその子犬の存在は、親たちの知るところとなり、ペスは、我が家の住んでいた長屋の屋外に括り付けられました。子どもたちはみんな食べ物を持ち寄り、その子犬をかわいがっていました。
問題は、そのあとでした。そのころ、大人たちの中には、そんな野良犬を可愛がるような人は、誰一人としていなかったのです。特に私の父は潔癖症で、犬の匂いを嫌い、じゃれつく子犬を嫌がって箒で追い払うような人でした。
やがて、長い休みになり、両親の実家に帰省するときがきました。私たちは父の運転する自動車の後部座席に、ペスとともに乗り込みました。
山道をがたがたと走る道中、ペスはすっかり元気をなくし、車酔いのような状態になりました。そのときペスは、胃の中のものを吐いてしまったのです。大切な自動車を汚され、もともと犬を嫌っていた父は、犬を車外に出し、山道に置き去りにして、そのままクルマを発進したのでした。
そのとき、子どもたちと親とのあいだに、どのようなやりとりがあったのかを思い出せません。もしかしたら、2人の姉が一生懸命両親に頼んだけれど、言い含める両親の説得に負けたのか、それとも父の怒りが怖くて、誰も何も言えなかったのか、・・・一番幼かった私の記憶には、さだかなことは残っていません。
ただ、寒々しく薄の光る高原の風景と「犬を捨てたこと」が、私にとって、このうえもなく寂しい、最初の犬の記憶として、長く刻まれることになったのです。
高原の山道に犬を捨ててから、かなり月日がたったころ、どこからかまた、野良犬がやってきて棲みつきました。あの日捨てた犬とは、まったくちがって躰も大きく、汚いながら落ち着いた雰囲気の成犬でした。誰も、その成犬(老犬?)が、あの日捨てた犬だとは思いませんでしたし、言い出す人さえありませんでした。両親はもちろん、まったく別の犬としてその犬を語り、その犬の不潔さを嫌っていました。ただ、その犬は、いつかペスをつないでいた場所に、黙っていつまでもうずくまっていたのでした。
その記憶は、その土地を離れるとともに、すっかり私の中から消えていました。
が、
高校生になったころのことです。清少納言の「枕草子」を学び始めてまもなく、私は「うへにさぶらふ御猫は」という段を知りました。宮廷での優雅な日常の中の、犬にまつわる事件のエピソードでした。
冗談好きな飼い主にけしかけられたことを真に受けて 天皇の御猫を襲いそうになった「翁丸」という犬が、罰として家来に打ち殺されて捨てられる、という話です。舞台は平安時代の宮中御殿なのに、妙になまなましいエピソードだなあと思っていると、何日か後に、見る影もなく汚らしい野良犬が迷い込んできて、女房達はその犬を見ながら「打ち殺された翁丸を思い出すわね、あれはかわいそうなことをしたわね」と誰かがつぶやくのです。そのとき その言葉をきいた野良犬が、涙をはらはらこぼしてオイオイ泣き出す・・・「え、まさか、翁丸?おまえ生きていたの?」とびっくりするといういう結末が待っていたのでした。随筆なのだから、これはノンフィクションなのでしょうが、これを初めて読んだとき、私の記憶に立ちのぼってきたのは、あの日の老いた野良犬だったのでした。
あれは、やっぱりペスだったのではないか、あの日私たち家族が、高原の山道に捨てたペスが、長い時間をかけて旅をして、私たちの住む切り株の町にたどりついたのではないかと。
もともと野良犬だったペスは、その生涯のうちのわずかな安住の記憶を求めて、帰巣本能にしたがったのかもしれません。そうだとするならば、私たちは、あまりにも 犬という命に冷たい家族でした。
「犬は犬、我が家は、3人も子どもがいるのだから、犬なんか飼う余裕はないのだ」両親の口癖だけが、幼い記憶に鮮やかに残っています。
それにしても、その老犬が、あのあとどうなったのかを、またもや私は覚えていないのです。老犬が息を引き取るまでそばにいた記憶はもちろんありません。いつのまにか、いなくなった、そうとしかいえません。
犬にまつわる私の記憶は、まばらで、情けない思い出なのでした。