深まる秋の庭で

ある朝、突然に包まれる甘い金木犀の香りに、驚いて見上げると、すでに満開になった花が、秋の空を背負って 咲きほこっています。忙しさにかまけているうちに、いつのまにか季節は秋になっていたのです。

庭の端の、金木犀の樹の根元には、8年前に亡くなった、懐かしい愛犬ベルが眠っています。日ごろはすっかり忘れて暮らしているのですが、一年に一度だけ、金木犀の花が香るこの季節になると、そこに金木犀の樹があったことや、そこにベルが眠っていたことを思いだすのです。ひとに忘れられ見向きもされなくても、巡りくる季節に忠実に、しっかりと花を咲かせる 意志的な植物の存在に、いつも 感心させられます。

夏の間、強い日ざしをしっかりと遮ってくれた庭の木々の緑の葉が、いつのまにか色づいた枯葉となり、落ちてくる季節になりました。我が家の庭は、落葉樹が多く、毎年秋になると落葉を掃除しければなりません。

茂りすぎた庭木を切るために、脚立に昇って剪定ばさみを使ったり、落ち葉を集めるために、竹ぼうきを使ったりするのは、けっこうな重労働で、日ごろ使わない筋肉を使うためか、思いがけなく筋肉痛になったりもします。

毎年繰り返す、この作業をしていると、ずっと前 ベルが生きていた頃の、同じ作業をしていた思い出がよみがえります。はしゃいでまとわりついて邪魔をして、私に叱られていたあの犬の、やわらかい毛の感触や、息遣いや、温かい体温までが蘇ってくるのです。

そして、今は自立してしまった子ども達が、近所の子ども達と庭先で遊んでいた姿や、その歓声もまた、耳元に聞こえてくるような気さえします。

私はやはり、庭仕事が好きなのだろうと思います。面倒に思うことも、時々ありますが、こうして季節を感じ、季節ごとに巡る庭仕事を通して、今はもういないけれど かつては確かにそこにいた、愛するものたちの姿を思いだすことを、楽しんでいるのだろうと思います。

白木蓮の葉が、色を変え始めましたが、本格的な落葉までは、もう少しかかりそうです。それなのに、その枝には半年先の来年の春のための花の蕾が、すでにしっかりと準備を始めているのです。前向きな、意志的な彼らの生き方には、圧倒されるばかりです。

庭の木々は、物言わぬ存在ですが、生きる意志にあふれているようです。庭で過ごす時間に、私は実は、かれらからの生命力を受け取っているのでしょう。

月の美しい夜には、庭椅子をずらして みあげましょう。深まる秋の庭で、一日一日変わりゆく空気を味わい、季節を感じることにしましょう。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です