やわらかい表面にナイフで傷をつけると、指に従ってするすると皮がむけます。ひろがる香りとともに汁が滴るから、お皿で受け止めなければなりません。荒くカットして口に入れると、めったに味わうことのない旬の味が、口いっぱいに広がって、その瞬間、ああ今日は7月7日だ と、思いました。
夕方、友人が「もらいもののおすそ分けだよ」と言って、桃をもってきてくれたのです。夏風邪をひいて少し体が弱っている私は、自分を勇気づけるような幸運を、ありがたくいただきました。そして、その味と香りが、26年前の夏を、記憶の底からよみがえらせたのです。あの夏も、私は桃を味わっていたのでした。
1993年の夏、私は最初の出産をしました。7月7日の夕方5時すぎに、ひとつの命が、疲労と睡眠不足で意識朦朧とした私から脱出し、この世に飛び出してきたのでした。
だから7月7日は、息子の誕生日ですが、私には 自分が初めて母になった日です。「出産を乗り越えた」という安堵感の後ろから「赤ちゃんは? 私が守らないと」という気負いと緊張感が すぐにおしよせてきました。そのちいさな命をキープするのは自分しかいないような気がしたのです。
そんな私の病室に、友人たちが届けてくれたのが桃でした。旬の桃をいただくことは、めったにない贅沢ですが、出産を乗り越え、授乳を始めた私にとって「おいしいものを食べる」ことが、こんなに罪悪感なく受け入れられる瞬間は過去にありませんでした。「おいしい」と「許されている」が一緒になって、私を満たしました。
ひとつの命を産みだして、その命を守るために、夜も昼も授乳をする、そのためにおいしいものをたくさん食べて母乳を出す。「母になる」ということは、つまり「哺乳類」に戻ることでした。赤ちゃんはただ、飲んで、出して、眠る、それだけの存在でした。
浅い眠りから醒めると、赤ちゃんが生きている、生きてくれればそれだけでほっとする、なにもいらない、それだけでいい。それ以上もそれ以下もない、それが哺乳類の私の 実感でした。
だから、男の子だとか、見た目がどうだとか、私には どうでも良いことでした。周りの人たちが、いろいろ言うことが不思議に思えるくらいでした。
ことに私の両親が「男の子だから、男の子だから」と、あまりにも「男の子」が生れたことを喜ぶ姿を見ると、単純に「親孝行できて良かったな」と思う半面、複雑な気持ちにもなりました。
あれ、お父さんとお母さんが、本当に欲しかったのは、私じゃなくって、この子だったのかな?
28年前、私が生れたことが、何かのまちがいで、本当はこの子を待っていたのかな?
男の子を産んだことを誉められていながら、考えすぎて自分の存在を貶めたりして、こんな卑屈な産婦は、珍しいのでしょうか。
でも、本当はどうなのでしょう?世の中の妊産婦はすべて女性なのに(あたりまえ)命懸けの大仕事を終えた瞬間に「男の子」をほめられるというのは・・・。「次は男の子を頼むよ」疲れ切った体に、そんな言葉をかけられる人さえいるというのは・・・。
雅子さまが男の子を産まなかったとか、紀子さまが産んだとか、最近、改元を機に、また「継承の問題」がネット上の話題になっています。
男子がOKで女子はNGだなんて 誰も言わない世の中になれば、どんなにいいでしょう。どんなにたくさんの人の心が晴れるでしょう。
分娩室で始まる、男の子だとか女の子だとかを、もうあんまり言わない世の中になれば、
赤ちゃんが今日も生きている、それだけでいい、何もいらないと、すべての産婦が 心の底から思うでしょう。
ただ しあわせをかみしめて「おいしいものを食べて、母乳を出そう」と。
あの日私が 桃の季節にしか味わえない 天のめぐみを味わったように。
今日は、7月7日 息子の誕生日です。
今年も、これといって贈るものはないけれど
「生まれてくれて ありがとう ただ 生きててくれれば なにもいらない」と 哺乳類の 母に戻る日 なのです。