「従順」で「善良」「親を神のように尊敬し」「親からの支配を喜んで受け入れる」そんな人格を形成するための、厳格で支配的な教育理論、それが、戦前のドイツを席巻した、シュレーバー教育です。
子どもが生まれてまもなく、その早期教育は始まります。子どもが感情的に泣いたり、大きな声を出したり、「わがまま」を言って親を困らせたりすることの決してないよう、物心がつく前から、体罰を使ったり、子ども自身に恥をかかせ、その羞恥心を利用して子どもをコントロールすることをすすめます。
ラジオ体操の生みの親であるシュレーバー博士の存在や、彼の持論である『シュレーバー教育』の存在については、この夏に参加した、室蘭工業大学の清末愛砂先生のオンライン講演会の中で、初めて耳にしました。お話を聴いたあと、彼女が口にした、心理学者アリス・ミラーの著書「魂の殺人~親は子どもに何をしたか~」を、取り寄せて読んでみました。書かれていることのあまりの重さに、そして衝撃に、何度も本をとじながら、長い時間をかけて読み終えました。
「権威主義的な」「軍隊式の」教育は、「戦争」に向かう当時のヨーロッパで広く受け入れられました。国家の構成員として、なによりも「従順」や「権威への服従」、そして「秩序」が重んじられたからでしょう。
そんな中で、「ナチス・ドイツ」は生まれました。そして「権威に無批判に服従する」ように刷り込まれていた人々は、「権威そのもの」のふるまいをする、厳格な父のような総統アドルフ・ヒットラーを「神の様に尊敬し」「熱狂的に支持する」国民となったのでした。
人々はその幼少期、『シュレーバー教育』や『闇教育』などの教育法により、「親からの虐待を受けていたにもかかわらず、「親を尊敬すること」を強いられていました。自然な感情の発露を禁じられ、健全な心理的発達を阻害され、真の感情を殺されながら成長したかれらは、しかし、やり場のない『恨みや憎しみ』を抱え込んだまま大人になったのでした。
ヒトラー自身もまた、厳格で冷徹な教育法によって育てられ、心の中に「この世に対する憎しみ」を抱えていました。狂気にも似た、その憎しみの矛先が、「戦敵」に、そして「弱者」や「他の民族」に向けられたとき、あのような残酷な行いが、歴史上に刻まれることになるのです。
「シュレーバー教育」には、さらにエピソードがありました。教育学者シュレーバー博士自身は、自らの提唱する厳格な教育方法で、2人の息子を裁判官にしましたが、ひとりは自死、のこされた息子は精神科の病棟患者として「ある神経病者の回想録」という自分史を書きました。
また、20世紀を生き抜き、まさに命がけで「魂の殺人」のような虐待教育を告発する著書を世に遺し、2010年に亡くなった心理学者アリス・ミラーの人生もまた、壮絶なものでした。
アリス・ミラーがポーランドからスイスへと移住したのは、彼女自身がユダヤ人だったからでした。著作中に何度もでてくる「幼児期に刷り込まれたシュレーバー教育と戦後の民主的世界とのギャップに苦しむ人々」というのは、彼女の夫です。戦争のさなか、生きるために、収容所の家族を救うために、ユダヤ人のアリスはゲシュタポの青年と結ばれました。なんとそれがアリスの夫となった人でした。
シュレーバー教育を叩きこまれ、敗戦国家ナチスの秘密警察としての過去を抱えながら、ユダヤ人の妻と結婚した彼は、戦中戦後の混乱期の中で、2人の間に生まれた子どもを育てることを拒み、疎んじたと言われています。
元ナチス党員の夫からの人種差別に、自分自身もわが子もさらされながら、戦後を生き抜いたアリス・ミラー。その苦しみの人生から、彼女の著書は生みだされたのでした。残酷な夫の姿を、乳幼児期に受けた虐待教育に苦しみ続ける被害者という目で見つめようとした心理学者の視線は、絶望を未来への希望へつなげようとした強い意志が感じられます。
早期教育で、親の思い通りに子どもをコントロールすることは、「教育」の名を借りた幼児虐待であり、それこそが「残酷な大人を育てる方法」にほかならない、という遺言を、私はこの夏、アリス・ミラーの命がけの人生から、受け取ったのでした。
著作をご覧になったのですね。今回ご紹介いただいてありがとうございました。
教育といいながら、その残酷さに純粋に怖さを感じました。こころを破壊する教育の怖さです。
間違った教育は、多くの残酷な大人をつくり、本人も苦しむ。1度しかない人生を生き抜くことに本当に多くの葛藤と忍耐とが強いられ、その根本に教育があった。冷静にその背景を伝えてくれる人がいたからこそ、私たちは誰もが1人の『人間』であることに気付かされる。…そのような気もしました。
この苦しみを生み出すことも教育なら抜け出すきっかけも教育ですね。教育に携わる者としての考え方の大事さを(当たり前ですが)、今の学校は?自分は?と思いました。
あたたかいお言葉に感謝します。子どもたちが、本来持って生まれた生命力や感受性、いきいきとした躍動感は、この厳しい時代の同調圧力によって抑圧され、支配されているような気がしてなりません。私たちにできることは何なのでしょうか。ずっと考え続けています。