3月31日の空港には、スーツ姿の若者があふれていました。明日の入社式に向けて旅立つ我が子を送る親たちの顔には、自分の「子育て」時代からの卒業式のような、そんな晴れ晴れとした表情が見えます。
「元気でね、新しい生活では、きっとまた、素敵な出会いが、あなたを待っている。どんな畑にまかれても、あなたならきっと大丈夫、楽しくやっていけるよ」
保安検査場に消えていく娘の後姿を見送りながら、私はそう信じることにします。ここから先は、親にできることはただ、わが子の幸せを祈ることだけです。
そして、生まれてきてくれたこと、今日まで楽しませてもらったことにも、ありがとうと言いたいのです。
「人間 至るところ青山あり」~人はどこに生きても、どこで骨を埋めても大丈夫、故郷を離れてもいい、しあわせの地は世界中どこにでもある~幕末の僧、月性のことばが、私は好きです。
生まれた土地をはなれ、移り住んだ町を「故郷」とは、どうしても思えず、親のすすめにそむき実家を離れて生きることを選んだ私でしたが、そのことに気おくれを感じた時期もあります。そんなときに出会ったこの言葉は、「お前の生き方もあっていい、ふるさとに住むことだけがすべてではない」と、力強く励ましてくれるような気がしたのです。
実際、私はそうやって生きてきたし、新しい土地の新しい出会いは、いつでも私を、受け入れてくれました。
だから大丈夫、心配すればきりはないけれど、信じてとびこめば、新しい土地には新しい土地の、良い所がきっとある、人の住んでいるところなら、どこでだって、あなたなら 楽しく生きていけるよ、と、信じて励まして、そして祈りたいと思います。
とは言うものの、飛んで行った先の娘がたどりつく到着口に、社会人3年目を迎える息子が迎えに来てくれて、先輩として兄として、妹の社会人への軟着陸をサポートしてくれることになっているのです。だからこそ親として安心しておくりだせるのもまた事実です。そんな息子にも、ありがとうを言いたいのです。
兄妹二人が並んで歩いている姿や、息子のアパートの目の前に咲く、桜の並木を想像します。どうか二人の明日が素晴らしいものとなりますように、親にできること・・・ただ祈ること、に専念したいと思います。