支配的な上司のもとで、管理されながら働くうちに、「ひとの言うことに従う」ことにすっかり慣れてしまい、なにかを自分で考えたり、決めたりすることを諦めてしまおうとしている自分がいます。ときどき、そんな自分に気づくことがあります。
子どもの頃、「親の言うことにさからうと、どんなにひどい目に遭うか」ということを、身をもって覚えさせられた子どもは案外多いものです。そんな彼らは、なにかものごとを選んだり、決めようとするたびに、心の中に棲む「神のような親の存在」に、お伺いをたてる癖が、なかなか治りません。かりに、自分の人生の大切な局面で、その癖が事態を混乱させたとしても、彼らがその呪縛から逃れることは、とても難しいのです。
それは、どこか「サーカスの象」の姿に、似ています。
鎖に繋がれ、杭に縛り付けられた子どもの象は、逃げようとするたびに、鎖が足に食い込み、激しい痛みを体で覚えてしまうため、あきらめとともに「自分の力では、絶対に逃げられない」という思い込みを、自らの意識に刻み込んでしまいます。
やがて、成長した象は、体が何倍にも大きくなり、その力は重機のように強大になっているのですが、本人はその事実に気が付きません。幼いころにおぼえた「自分の力では、絶対に逃げられない」という無力感にしたがい、一生を、暗くて狭いサーカスの小屋の中で、おとなしく終えていくのです。これが サーカスの象の人生脚本です。
「どうせ無理だから」と多くのことをあきらめ、一歩も踏み出さずに、言いたいことも言わず、したいこともせず、委縮してしまう若い人を見ると、私はいつも「サーカスの象」の話を思いだします。
サーカスの象は、なぜ、その強大な力を自覚しないのでしょうか。彼らはなぜ、自分の力を試そうともしないのでしょうか。
専門家は、それを「学習性無力感」(学習性無気力)と呼ぶのだそうです。
私たちの多くは、幼い頃、「しつけ」という名の鎖を、親や先生から、二重三重に巻き付けられてきました。
「上の人の言うことにしたがうことが、自分の思いを尊重するよりも大切だ」という幼少期の思い込みは、早期決断となって意識に刻み込まれ、それぞれが成長し、大人になっても、私たちの自己評価をおとしめ、自己決定や挑戦から遠ざけていくのでしょう。それは社会にとって、むしろ大きな損失ではないかと最近思うのです。
もしも、最近のあなたが、過度な支配や上からのコントロールにしたがうことに、「息苦しい」と感じるならば、もしかしたらそれは、あなたが成長した象であることに気づき、「自分の力を試すとき」が近づいているのかもしれません。
あなたはもう、子どものあなたではありません。あなたが本気でその力を発揮すれば、その鎖を、簡単に、杭ごと引き抜いてしまうでしょう。
あなたを支配する人は、本当は、とうにそれを予感し 恐れているのです。
「支配者」たちの眼の奥に、暗く深刻な「恐怖の色」が潜んでいるのは、そのせいかもしれません。