ゆらめく炎(そして伯母のこと1)

息子はイマドキの若者ですが、週末になると友人とアウトドア・キャンプに行くこともあるようです。あの子たちが小さいころ、我が家では、たびたびキャンプに参加したり、庭でバーベキューをしていました。他でもない私自身が、炎が好きだったためです。

キャンプの時はみんなで大騒ぎしながら火を起こすけれど、真っ赤に立ち上る炎で必ず肉を焦がしてしまいます。火が鎮まって熾火になり、夜遅くまで、何かをあぶったり、語り合いながらその火を守るのです。翌朝早く朝ごはんのために火を起こし、また火をまもります。そんな風にいつまで見ていても、見飽きることはありません。炎を見ていると、心が落ち着いていくのを感じるのです。ゆらめく炎で思い出すのは、7年前に亡くなった、母方の本家のおばのことです。

子どものころ、母方の実家に帰省すると、そこには多くの親戚がいました。久しぶりに会う同年代のいとこ達と私たちは、大勢での遊びに興奮し、奇声をあげて、しょっちゅう大人たちに叱られていたものです。その間、大人たちは、お膳を囲んで、長い長い時間を過ごしてしていました。

母の兄嫁にあたるおばは、大きな農家の長男の嫁として、台所で、大勢の親戚の、三度三度の賄いや、おやつの準備や酒と肴の準備に追われていました。

不思議な存在でした。影のように立ち働きながら、にこにことすべてを受け入れてくれる女性、それがおばでした。

私は、いとこ達との遊びにつかれると、よく台所に立ち寄り、「お水ちょうだい」とおばに話しかけていました。おばは、ポンプで井戸水をくみ上げながら、「うちのお水は美味しいよ」と目を細めて私を受け入れてくれました。台所は土間をうっていて、大きな竃が三つもならんでいました。かまどの火で煮炊きをする彼女のそばにいて、ずっと仕事の手元を見つめていても、おばは怒らないで優しく、いつまでもそこにいさせてくれるのです。私はそんなおばのそばで、長い時間を過ごしていました。

ゆらめく炎をみると、不思議と心が落ち着いてくる私、あるいは、何の指図も評価もされず、私が存在することを、黙って受け入れられたおばとの時間の、あのときのかまどの炎の記憶が、体によみがえってくるせいかもしれません。

7年前の4月、おがばが亡くなったとの知らせを受けたとき「それはまちがっている」と思いました。光があたらぬまま、影のような存在のまま、消え入るように亡くなったおば、私には、彼女に伝えたい思いがたくさんあったのに、なにひとつ伝えることができないまま、彼女はひっそりと逝ってしまいました。

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