そこに「線」はなかったのに。

自宅に籠り、仕事を休む毎日が続いています。先日、夫の身体に微熱とコロナウイルスの陽性反応が出たため、体調に問題のない私も、濃厚接触者として、外出や出勤を控えることになったのです。

遠い所に住んでいる娘も、1人暮らしのまま、つらいコロナ闘病生活を乗り越えました。息子もすでにコロナ感染生活を終えています。ワクチン接種をしていても、私の周りの人々が、次々と罹患し、ほとんどがコロナ罹患経験者となりました。息子や娘は高熱を出しましたが、私は無症状のまま終わるようです。そして、コロナによって自宅で過ごすことに、世間からも職場からも寛容な理解が得られ、なんのとがめもありません。

2年前の今ごろ、当時のコロナ罹患者に対し、社会全体で特別視し、差別、糾弾すらしたニュースが流れていました。当時、あまりのバッシングに転居を余儀なくされた人もいたという話を思いだします。

少数者のうちは、厳しく異端視していたのに、同じ立場の人が多数者になれば「普通の人」として受容される現実に、少数者を「あっち側の人」と線引きをして疎外していたことに気づかされます。たとえバッシングに参加しなくても、私たちは確かにあのころ「こっち側」にいました。傍観者の1人として、その「線引き」という暴力に加担してしまったのかもしれません。

かつて若いころの私は、会話を楽しむとき、なにかと「カテゴライズ(線引き・分類)」をするのが大好きでした。

理系と文系、体育会系と文化系、男性と女性、西洋と東洋という風にすべてに線引きし、世界を二元論で語り合うのが好きでしたし、血液型や性別や干支によって人を分類することに、誰も違和感を持たなかった時代でもありました。

高校の国語の教科書に載っていた「水の東西(山崎正和)」が、当時の私たちの発想を強化し、「カテゴライズ」することに、お墨付きを与えてくれました。

川端康成の「伊豆の踊子」の主人公のように、「Aさんは『良い人』ね。」と、ひたすら知人への「良い人」賛美をくりかえしていた時期がありました。見かねた友人に「そんなにやたらに人を『良い人』の枠にはめ込むものじゃないよ」と注意されたことさえあります。当時の私は、「誉めることのどこが悪いのか」と驚いたものでした。今思えば、当時の私は、頼まれてもいないのに人をジャッジする、傲慢なところがあったのだろうと思います。

あのころ楽しんでいた「カテゴライズ=分類」の言葉遊びを、今は恥じる気持になっています。なにげない会話の中で、どれほどの少数者を私は傷つけてきたことでしょう。消しゴムで消してしまいたい私も、確かに存在したのです。

この世界には、「あっち側」もなく「こっち側」もないのでしょう。私たちが「あっち側」として線引きし、少数者を異端視し疎外しようとしても、すぐに時流がかわり、逆の立場になるのでしょう。

いま、多くの人が、「カテゴライズ=線引き」の愚かさに気づき始めているような気がします。

ヒエラルキーの底に押しやられていた少数者のひとりひとりが、自由に平等に世界にその存在を発信する時代となり、すべての命が等しく輝いていることに人々は気づき始めているのです。

「格上と格下、強者と弱者、年上と年下、支配者と被支配者、健常者と障がい者、先進国と発展途上国、勝ち組と負け組」・・ちょっと前に流行った、カテゴライズの言葉たちが、その空虚さをさらし、裏も表もなく、誰もがすぐに入れ替わりうるという真実が、私たちみんなの前にあらわれはじめている気がします。

だから少しだけ大人になりたいのです。少数者を攻撃し、社会秩序の外側に押し出そうとするマスメディアやイデオロギーの強い風に触れても、ちょっと立ち止まって「そこに本当に線はあるの?」と、自分に問いかけ、わからないときは「今はまだ、わからない。未来の私はこの線引きを恥じるかもしれない。」と、わからないものをわからないままにしておけるような、心の奥行きを持ちたいのです。

良い人だとか悪い人だとか、つい人をジャッジしてしまう自分の癖を思いだし「このジャッジはいらないね。誰からも頼まれていないからね。」と、そうっとひっこめる習慣を身に着けていきたいのです。

 

 

 

 

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