さよなら コービー

その日はめずらしいことに、娘からの着信が何件か入っていて、「どうかした?」と少し心配して電話をしたら、「コービーが、事故で・・。」と深刻な声が聞こえてきました。

コービー・ブライアント、その人懐っこい笑顔と、NBAのバスケットボール選手としての圧倒的な存在感は、小学生の頃からずっとバスケットボールをしている我が家の子ども達にとってのヒーローです。あの伝説のマイケル・ジョーダンよりももっと、子ども達にとって、身近な、憧れの存在だったのです。「神戸牛のステーキが好きだからコービーって名前つけたんだって」と日本の子ども達は喜び、そのころ日本でBJリーグの監督に就任した、お父さんのジョー・ブライアントのチームを応援しました。

「今日は朝からツイッターで、世界中すごいことになってるよ、逆にお母さん、気づかなかった?ネットニュースでもテレビでもずっと流れてるよ」

その突然の事故死にショックを受けた娘にとって、なかでも一番心に迫ったのは、コービーが、いま13歳の娘さんのバスケチームのコーチとしてバックアップしていて、今回の事故は、その娘さんや友人との移動中のことだった、という事実のようです。娘にとって、このニュースは、人間味あふれる彼のキャラクターとともに、愛娘を応援する、あたりまえの父親としての彼の人柄が、せつなく胸に刻みつけられたかたちとなったようでした。

我が家では子ども達が小学生のころ、軽い気持ちでバスケットボールクラブに入った結果、予想以上に本気でのめりこみ、バスケットボールひとすじの青春となりました。打ち込みすぎて、他のおけいこ事や学習塾に縁がなくなってしまいました。

私たちは応援しました。毎週末に長距離の運転をして、県外遠征におつきあいし続けた時期もありました。

負けたり、負けたり、勝ったり、負けたり、ケガをしたり、病院に連れて行ったり、落ち込んだり、傷ついたり・・。彼らを見守りながら、バスケットボールというスポーツの厳しさと面白さを知り、二階席から追体験させてもらうことができました。時間と空間を計算し尽くすスポーツ、後戻りも時間稼ぎも許されず、邪魔されてもいじわるされても平気な顔で、前に前に向かうしかない、得点しても喜ぶ暇もなく、次の瞬間は守らなければならない苛酷なスポーツ、ロスタイムもなく、秒に支配され、秒を支配する厳しいスポーツ、その一方で、面白いほど点が入って、くせになるスポーツ、それがバスケットボールという世界でした。

「私ね、バスケット時代が、人生で一番頑張ってた」娘は今も、あのころをふりかえって、そう言います。「頭の中はバスケで一杯で、友だち関係の悩みや勉強の悩みの入る隙間もなかった」「どうしてあんなに必死になれたのか、どうしてあんなことを乗り越えることができたのか。あの日々に比べたら、どんな場所も、どんな試練も、たいしたことはないって思えるくらい。」そう彼女は言うのです。通り過ぎた自分の季節の、その一途さに、ちょっと自分でもあきれるように、でもちょっと誇らしい顔で。

世界中に、さまざまなスポーツに夢中になる子どもたちがいて、彼らの憧れの視線の先に、いつも「コービー・ブライアント」のような憧れのヒーローがいるのだと思います。

私はと言えば、そんな息子や娘に、とことんつきあわせてもらったあの頃の記憶を、人生の宝のような時間として、今も胸に刻んでいます。かれらの目を通してあこがれた、コービー・ブライアントという一流のアスリートのことも、私の中に永遠に刻まれました。彼が、世界中の普通の親と同じように、彼の娘のチームの応援をしていたことに、限りなく共感しながら。

さて、息子です。あんなに憧れ、あれほど慕っていたコービーの死について、今回、息子からはまだ何も聞いていません。アメリカに留学していたころ、何度も見に行ったNBAのレイカーズ戦で、憧れの人を瞳に焼き付けたはずの息子は、大人になったいま、どう受け止め、何を感じているのでしょうか。

「ぎり起床、アメリカいってきま」と慌ただしいメッセージを残して、今朝一番の飛行機で息子は出張に出かけました。出張先のロサンゼルスで、レイカーズの町で、彼は彼なりに、ゆっくりとコービーを悼むのでしょうか。

これもまた、人生におけるご縁なのだと思います。どんなに素晴らしいアスリートにも、終わりの日は突然やってくるのだけれど、日本の片隅の、ささやかな家族に、永遠の憧れと思い出を授けてくれたことに感謝します。ずっとあなたのことを忘れません。家族みんなで、大好きでした。さよなら、コービー。どうか安らかに。

 

 

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