世の中のほとんどの男性が敵であるような気になりかけていた私の思いが偏見だと気づいた理由は、「男性のジェンダー」を研究する多賀太さんの存在でした。彼は「男性のジェンダーが男性の問題を招き、女性への暴力や抑圧につながる」と考え、「男性の非暴力宣言」という本を出し、日本で初めて男性が主体となって女性に対する暴力を問題にする運動「ホワイトリボン・キャンペーン」を共同代表として立ち上げた人だったのでした。この社会で、そんな一歩を踏み出す男性がいることに、私は驚きました。そして自分が今まで見えていなかったもう一つの真実に気づかされたのです。
同調圧力という見えない空気に支配されてきたのは、女性だけではなかったのです。男性もまた「男らしさ」(「男はこうあるべきだ」という歪んだ思い込み)によって支配され、男として生きることへのプレッシャーをかけられているのかもしれません。そういう視点で周りの男性を見まわすと、今までとはまるで違う風に男性たちが見えるようになりました。女性に対してことさらに強気な態度で優位性を保とうとする男性、「妻子を養う将来」への不安といら立ちを隠せない若い男の子、そのすべてが「刷り込まれた男のジェンダーに支配され、生き辛さに苦しむ姿」として目に映るようになったのでした。
トランス・ジェンダーのノンフィクション映画「カミングアウト・ストーリー」の主人公である、土肥いつきさんに実際にお会いできたのもそのころでした。いつきさんは自らの半生をライフヒストリーとして若い人に伝え、ロールモデルとなって、後に続く人への励ましとすることを使命としているようにも見えました。また、性的少数者のこどもたちのつながりの場としてのキャンプを主宰して、子どもたちに「仲間とのつながり」を手渡していました。少数者としての自分に気づき始めた孤独な子どもたちにとって、その居場所がどんなに大切な人生の命綱になることか、私には想像することができます。彼女の周りには、少数者もそうでない人も含めて、たくさんの人が集まって人生を語り合います。ふと見ると、いつきさん自身は語らずに、そこに集う仲間のひろがりを眺めて満足そうにしていたりします。彼女はただ「場」を作るだけでいい、ということを知っている人でした。人と人は、本音を語り合うことで、力を分かち合うこともある、ということをわかっているいつきさんは、語り合うための「場」を、数えきれないくらいたくさんの人に手渡し続ける人でした。
LGBTの彼らは、私と同じように、いやそれとは比べられないほどの厳しさで「男の子、女の子」と仕分けられることを苦しく感じながら子ども時代を過ごしてきたのでした。この世の中の醸し出す空気のすべてが自分を圧迫し、否定され、その違和感の正体におびえる子ども時代の混乱を堪え、やがて自分の頭で必死に考えながら、たどるようにその人生を生きて来た人たち、それが多くの彼らの人生でした。
だから、彼らは往々にして賢くて、想像力と思考力と思いやりを身に着けます。彼らと話をするだけで、私の頭の中までが整理されていき、ジェンダーの視点で社会を俯瞰することによって、自分の人生を覆ってきた自身の性別への卑下も、遠くのカメラから覗くような感覚で見えてきたのです。
それはまるで心の中で曇っていたガラスがすっきりと透き通っていくような、明晰な感覚でした。童話「青い鳥」の中で、チルチルの帽子についているダイヤの飾りを回すと、世界の本当の姿が見えるようになる、という場面がありますが、あのときの私の感覚もまるでそんな風に「目からうろこ」が落ちたような瞬間でした。
からだの性も性的指向も性自認も、ひとりひとり視力や身長や体重の様に、少しずつみんな個性を持っていて、それはまるでグラデーションのように少しずつちがっていて、この世にひとりとして同じ人間はいない、というのもまた真実なのです。
「私たちは皆グラデーションのなかにいる。だとすれば、私は、女性として仕分けられる前に、かけがえのない『人間』なのだから、私は性別にとらわれずに、自分自身の人間としての存在を祝福してもいい」という思いが、じわじわと心の底から湧いてきたのです。
その時の不思議な感覚は今も体のなかに残っています。自分の周りの世界は、本当はこんなに鮮やかな色がついていたのか と思うほど、急に周りの風景がカラーに見え始めたような、世界の美しさに驚くような、そんな瞬間が訪れたのでした。
その朝に見た景色を私は忘れません。私はその日、盛岡駅への道を歩くため、北上川にかかる開運橋を渡っていました。青空を押し上げる白い岩手山、水面を照らす朝の光、岸辺に積もった雪、きんと冷えた空気、すべてが私を祝福してくれたのを覚えています。2016年の早春のことでした。