春の人事異動で、8年間働いた職場を離れました。いろんなことがありました。一緒に働いた仲間の人柄、ぬくもり、存在感が、今は私のこころをあたためます。ひところ、胃が痛くなるほどに苦痛だった日々もありました。苦手だった人もいました。それらをふくめて、かかわったすべてのことが、私を成長させてくれたと、今は思います。
着任して一年後に、私は「こころの休憩所」を開き、「疲れた人」や「こころの弱った人」の一時避難所として、そのときどきの人を迎え、そして送り出してきましたが、あの部屋は、これからも、閉鎖することはありません。同じ考えかたを受け継いでくれる人が、いつのまにか増えました。彼女たちに部屋の鍵を渡し、安心してこの職場を去ることができること そういう準備を許されたこの旅立ちを、ありがたく しあわせに思います。
「こころの休憩所」に来てくれるあなたへ、あなたが疲れたときには、これからも来てくださいね。この春私はいなくなるけれど、あの部屋はこれからもあなたの居場所として、ドアを開けていますから。
ときどき卒業生が訪れて、こう語りました。「高校生のころ、あんなに弱かった私でしたが、いまは、こんなに強くなって、元気に働いているんです。」「今は思います。『どうしてあのころの私は、あんなことで悩んでいたんだろう』って。あのころの私に、言ってあげたいんです。『その悩みはちっぽけな思い込みに過ぎないよ』って。」そんな風に語る若者が、誇らしさに輝く笑顔を見せてくれることもあります。そんな姿を見るたびに、人は、今がどんなにつらくても、生きていれば必ずそれを乗り越えて、笑って振り返るときが必ず来る、ということを確信するのです。
つらく、苦しく、消えてしまいたいと思うほどに、こころの弱った時期を経験したことのある人は、自分を見つめ、自分の弱さを自覚し、情けなくても、恥ずかしくても、それでも生きていくことの意味を知る大人に成長してくれます。そんなあなたたちの姿を、私は忘れることはないでしょう。
弱っているときのあなたも、私は好きでした。生きることに疲れたあなたの、その『逃げ場のない』絶望感のそばに、じっと控えて、犬のように待っている時間が、私は好きでした。あなたが絶望の底を這って、泣いて、泣いて、眠って、そしてやがて、ふと目を覚まし、なにかが抜け落ちたように、顔を上げて、生きようと決める、その瞬間を、ただ待つのが好きでした。
私にできることは、ここであなたを迎え、そばにいることだけでした。
あなたが 弱っている自分自身を休ませて、赦し、やがて「力」を取り戻し、蓄えて、この部屋を出ていくのです。それはすべてあなたが決める生き方でした。
「集団の中にずっといるのは疲れるから」と 時々休みに来る高校生は、たいていの場合、感受性が豊かで、センシティブな人だから、話してみると、とても賢くて大人びていた、そんなあなたと語り合うのが、実は私は好きでした。
人をけなしたり、ばかにしたり、貶めたり蔑んだりすることが平気でできる、そういう人同士が主流を歩くのが この社会の現実だというのなら、あなたは社会的ではないのかもしれない。社会になじめない人、と呼ばれるのかもしれない。そんな あなたが、でも私は本当に好きでした。
自分の弱さを知る人は、自分の絶望の底を知る人は、もはや自分と誰かを比べたり、人に競争意識を持ってはりあうことの無意味さを悟ります。
自分が人から笑われようが、馬鹿にされようが、自分は生きることに決めたのだから、どうぞ笑ってくれて構わない、と腹をくくる生き方を知った人こそ、実は本物の強さを身に着けることができるのだと思います。
8年間の、最後の一年間は、コロナ後の生き方について考える時間でした。今までの常識がくつがえり、ひとりひとりが自分と向き合うことを余儀なくされる時代について、あなたとともに語り合いました。
自分のこころを粗末にしないで、大切に水を与えながら生きていこうね。
ひとはひと、自分は自分、そんな当たり前の真実をいつも忘れずに、ずっとずっと、自分の最大の理解者でいようね。
私の好きだった、あの部屋に来てくれた人たちへ。さようなら、いつかまた。