2021年が明けました。人のいない、酸素に満ちた森を歩き、地元の山に登ることが、私に与えられた、ささやかな贅沢です。一年ぶりの登山ですが、昨年よりもずいぶん楽に登頂できました。みはらしの良い展望台にも、人の姿はありません。お湯を沸かしてお昼にしましょう。山頂で淹れれば、コーヒーの味も格別です。
昨年よりも楽に昇れた理由は、春先に買ったトレッキングシューズで足元をかためたことと、夏以降に少しずつ体を鍛えたせいだと思います。ひとつ歳を重ねながら、体がむしろ強くなったことが、山登りをしてみることで、わかります。
2020年という、人類史に残りそうなパンデミックの年は、私に大きな気づきを与えてくれました。
「私に何ができるのか」について一生懸命考えた末、わかったことは「できないこと」の数々でした。
苦しんでいる誰かを救おうと頑張っても、ひとの心はコントロールできないし、ひとの人生はその人にしか変えられない。誰かを救おうなんていう私の考えが、むしろおこがましいことだと思い知りました。
このパンデミックに対しても、人間は無力です。どんな権力者にも、どんな知識人にも、どんな努力家にも天才にも、世界を完全にコントロールできる人はひとりもいないようです。
それでも何度でも思いだしたいことは、「感染者」はけっして悪者ではないということです。わざと感染した人はひとりもいないのだから、感染した人を悪者扱いして攻撃したり、感染した著名人が反省しすぎたりすることが、まだ感染していない多くの人の不安や恐れを必要以上に煽るということに注意したいものです。
2019年に亡くなった小松一夫さんが、生前のTwitterで「その別れや問題はあなたのせいではない。『誰のせいでもないこともある』と上手にあきらめることが人生を楽にするコツです」という言葉を遺したそうです。それはまるでコロナ禍に苦しむ現代人の苦悩を予見していたかのような至言です。(*ポプラ社『自分のせいだと思わない』小池一夫 より)
ひとつひとつの行動をとるごとに「今日の私はこれで良かったのか。誰かに指摘されるのではないか。」と自省し、脳を疲れさせてしまう人々に向けられた、あの世からのメッセージのようにも響くのです。
自分のせいだと思いすぎることで、あなたの脳を疲れさせないでください。たとえ何が起ころうともあなたは悪くないのです。あなたのまわりの全ての人が、かりにあなたを攻撃しても、私だけは最後のひとりになることを約束します。あなたは悪者ではありません。この世には『誰のせいでもないこともある』のですから。
人から許されたいとか、人から認められたいとか、人から愛されたいとか、そういう「他者からの評価」に気をつかうのは、特に若い人にとって重要なことなのだと思いますが、ことコロナ時代を生き抜く知恵として、「あなたを正しくジャッジする他者は少ない」ということに気づいてください。他者は、あなたの命に責任を取らないのですから、人からの評価よりも、あなた自身を大切にしてほしいのです。
わたしが最近気づいた真実は、「好かれる、愛される」ことを目標とし、それに幸せを見出すよりも、むしろ「好む、愛する」ことの方が素晴らしい、ということです。
「好かれる、愛される」かどうかは、他者の心に依るものだし、確認するすべもありません。それに対して「好む、愛する」のには、まったく時間もお金もかからないし、まぎれもなく自分自身で何度も確認できます。しかも、好めば好むほど、愛すれば愛するほど、自分自身に、温かいエネルギーがチャージされていくのです。
2021年、今年のはじめに、あなたに伝えたいのは、これなのです。
「あなたのせいではありません」「あなたは悪くありません」だからもう、反省しすぎないでくださいね。
そして私は、あなたを含めて、出会えた人々を愛し、「お気に入り」を愛でて、何度も何度も幸せをとりだすことにします。
「好むこと、愛すること」が、私に与えられた、最高の贅沢だからです。