「命令解除」してますか

「『よっこいしょういち』っていう人がいますよね。あれって誰ですか?「よっこいしょういち」っていう芸人さんがいるんですか?」

そんな風に若い人から訊かれて、「隔世の感」に打たれるのは私だけでしょうか。横井庄一さんのことを知らない人々が、周りにこんなに増えるなんて、あの頃の私は思ってもみませんでした。

1972年、私が7歳のとき、終戦から27年がすぎても「あの戦争」についての思い出は、直接大人たちの口から子どもへと語られていました。ときどき手足を失った傷痍軍人さんの姿を見ることもありましたが、経済成長を迎えた世の中は、そんな彼らにに対して、どこかよそよそしいように見えました。忘れられないけれど忘れたい。「あの戦争」のことなど もうみんなで忘れよう、世の中がそんな風に傾いていたタイミングで、ある日突然日本人の前に現れたのが彼、横井庄一さんでした。

28年間の孤独なサバイバル生活を、南方のジャングルで生き延びた人、横井庄一さんの姿には、不思議な迫力がありました。

1945年の終戦の年、30歳の軍人だった横井さんは、グアム島の山林の中でゲリラ戦のために地中の穴に潜んでいました。けれど肝心の情報は届かず、終戦を知らずに、あるいは終戦を信じることなくサバイバル生活をしながら、ゲリラ戦を『戦い続け』、ついに57歳で現地の猟師に発見されるまで、たったひとりで生き続けたというのでした。

テレビが普及した1972年、横井庄一さんは、その姿でブラウン管を埋め尽くし、当時の「時の人」となりました。小学生の私にとって、彼の存在は「初めての有名人」でした。

軍事教育を受け、「生きて本土へは戻らぬ決意」を持っていた彼は、羽田空港に降り立った時「恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えたそうです。「恥ずかしながら帰ってまいりました」という流行語とともに、彼の存在は、子ども心に深く深く刻まれたのでした。

それから2年後、同様にルバング島の密林で29年間、命令された通りの「情報収集活動」を続けて来た小野田寛郎さんの帰還も、子どもだった私には強烈な印象を残しました。

特に、小野田さんに帰国を説得するにあたり、本人が「上官からの命令解除がなければ、この任務は終われない」と帰国を拒否したということ、その固く忠実な「任務遂行」の意志をほどくために、上官だった元軍人がルバング島に赴き、本人の目の前で「命令解除」の文章を読み上げて初めて、やっと受け入れ、帰国の途についたらしい、というエピソードが、いつまでも私のこころから離れませんでした。

「お国のために」と刷りこまれ、任務遂行を命令された人は、「命令解除」を受けなければ、次の一歩が踏み出せないのです。「命令」は「命令解除」によってしかほどかれない、だとしたら「教育の力」は恐ろしい。私はそう思います。

私たちもまた、「教育の力」で「命令」されたことを忠実に守ろうとするあまり、次の一歩が踏み出せないでいることはないでしょうか。「命令」した本人がすでに亡くなったり、すべて忘れ果てているのに、「命令」された人は、それに足をとられたまま、動けずにいることはないでしょうか。

例えば、「働き過ぎ」で過労死したり、燃え尽きて心の病を発症した人に「どうしてそこまで働くの?どうして休まないの?」と責めるのは酷です。「休まないで歩け」と「命令」した人が、彼らの人生のどこかに、必ずいたからです。

「コロナ禍の出勤」や「働き方」について考えるとき、疲れを感じたら仕事を休む、これが「新しい時代」のありようだと、アタマではわかっていても、ほとんどの人々は「少しくらい体調が悪くても、頑張って出勤する」という生き方を変えることができません。

学生の頃から「皆勤賞」などという賞が設けられ、「一日も休まない」という「謎のルール」が推奨されてきました。それを12年間も念入りに刷り込まれて大人になった日本人たちに、「自主的に休みましょう」と号令をかけても、なかなか休む気になれないでしょう。

かれらの前に、子ども時代の学校の先生たちがあらわれて、「『一日も休まない子が偉い子だ』って、先生たち言いすぎたよね、コロナ時代や働き方改革の時代がきたから 命令解除するよ。時代は変わったんだよ、今までとは違う生き方をしてね。」と語りかけなければ、この社会は変わらないかもしれません。

それが難しいならば、せめて私たちは悟りましょう。あの時に、私たちに命令された、あの言葉は、あの時代特有の「謎のルール」だったことを、その時々の大人たちが、その時々のご都合で、あなたを支配するために命令をたくさん発令してきたけれど、言った本人はもう忘れていることをも。

私たちが新しい時代を生き延びるために必要なのは、自分を苦しめる「謎のルール」に気づき、一つ一つ「セルフで命令解除」していくことです。自分の人生を「あの頃の大人」に支配させないかわりに、恨みももたず、最良の生き方を選びませんか。すでにそういう時代が来ているような気がします。

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