「弱さの情報公開」について

オリンピック期間中、女子カーリングチームの観戦に熱中し、終わったときは、「さびしい」と感じました。勝っても負けても関係ないのです。彼女たちの笑顔や、互いに励まし合う姿を観ていると楽しかった。それがこの冬の、私への贈り物でした。

「感情を表に出し、積極的に悩みを打ち明けること。互いの弱い部分でつながること。『弱さの情報公開』をすること。」・・・ロコ・ソラーレの吉田選手が、自分たちのコミュニケーション力についてそう語っているとの記事を読み、おどろきました。

『弱さの情報公開』という言葉を、ここで使ったことに、じんわりとした驚きを感じたのは、私だけではないと思います。

『弱さの情報公開』、もしかしたら北海道の人々にとって、この言葉はもう共用語なのでしょうか。あるいは吉田選手は、これを機に、この言葉と、この言葉の発祥の地である北海道浦河町の「べてるの家」のみなさんに、敬意の光を向けようとしたのでしょうか。いっそ流行語になれば良いと私も思います。

『弱さの情報公開』とは、「お互いの弱さや苦労を話しあうことで、人はつながることができる。「弱さ」とは、分かち合うべき、共有財産だ。」という考え方です。この考え方が生まれたのは社会福祉法人『べてるの家』です。ここは北海道にある精神障がい等をかかえた当事者による地域活動拠点です。互いに助け合い、頼り合い、悩みや弱さを共有しながら、自分たち当事者で自分たちのことを研究し発表する「当事者研究」のさきがけの地でもあります。

ここで暮らす人たちの中には、競争社会で勝ち抜くための「強さ」を求められ、勝ち抜くことに疲れ、病を得た人も少なくないそうです。その原因を自身で見つめ、研究する中から、この「弱さの情報公開」という独特な発想が生まれたそうです。

この村を訪ねる旅から戻ってきたはるさんに、その様子や考え方を伝え聞き、私もいつか訪ねてみたいと思いながら、2年が経ちました。

「弱音を吐くな。強くあれ。」私たちは、今までそんな風に言われ続けてきました。そしてそれを当たり前のこととして受け止め、それ以外の生き方はない、と信じさせられ苦しんでいる人は多いのではないでしょうか。

「強くなければ許されない」と信じて生きようが、「弱くてもいい」と知って生きようが、実際はどちらでも構わないのです。

「弱音を吐くな。強くあれ。結果を出せ。」と脅すことで、人の持つ力の限界を引き出すという考え方もあるでしょう。そうすることで結果を搾り取って実績をあげて来た勝利の歴史もあるのでしょう。それはそれで効果的だと思いますが、期待に応えられなかった選手を苛むことにつながりやすいという危険があります。

そんな今までの常識に、あの女子カーリングチーム「ロコ・ソラーレ」は一石を投じたのだと思います。

自分の悩みや、弱点や、失敗を、仲間に伝えてもいい。仲間に助けを求めてもいい。弱さは互いに共有し、支え合って、一緒に前に進もう、と。

スポーツは、もともと誰もが楽しくてやりたいからやるもので、笑顔でわあわあ言い合いながら、励まし合って、人生の同じ時を楽しむもの。勝ったり負けたりすることを、他人から裁かれるためにするものではなかったはず、と。

そんな考え方で「生涯スポーツ・カーリング」の街を名乗る北海道北見市常呂町と、「弱さの情報共有」という考え方を産みだした北海道浦河町、大きな北海道の小さな町の空気感が、やがて世の中への「次の生き方」として広まる時代が来るのかもしれません。

 

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