1965年、二人の姉に続いて、私は三女として生まれました。
両親は、私のために、男の子の名前を用意して、楽しみに待っていたそうです。三番目の私が生まれたとき、女の子の名前を全然考えていなかったため、困って慌てて考えた、ということを、私は物心ついてから、何度となく聞かされました。
父が男の子のために用意していた名前は、親戚中が知っていたようです。両親は、私の誕生を「あてがはずれた」と言う気持ちでうけとめていたのでした。
父は、幼い私を他人に紹介するとき、苦笑しながら「我が家の長男坊です」というジョークを繰り返しました。相手の人も笑いながら「ほほう、お母さんのお腹の中に『忘れ物』をしてきたんだね」とジョークで返し、私を見ながら、大人同士で笑いあっていました。
幼い私の目の前で、このような感じで私についての「性別ネタ」が繰り広げられ、やがてものごころつくころには、自分が「望まれない性」に生まれついたことにぼんやりと気づき、なんだか居場所がないような、申しわけないような気持ちになりました。