事故からちょうどひと月経ちました。体には、まったく後遺症はありません。ただ、あの日に感じた「ちがう世界に迷い込んでしまったかのような」心の変化はおさまる気配がありません。
細い通勤路で自転車を走らせながら、けっこうなスピードで追い抜いていく大きなクルマの後ろ姿を見送り「私はいま、たまたまあのクルマから『跳ね飛ばされなかった』だけだ」と思ってしまいます。そして、その奇跡に驚きます。すれちがう小学生を注意深くよけながら「私はいま、この小学生を『跳ね飛ばさなかった』だけだ」と、つい思ってしまいます。そんな瞬間を繰り返しながら、仕事場にたどりついているのです。「無事」ということが、実は奇跡の連続からなりたっていることに 私は気づいてしまいました。
すれちがう小学生たちも、追い越していく中学生たちも、そんなことはまるで考えていない様子です。あの年頃の私も、自分の身には危険なんて無いと信じていました。
けれど本当は、あの当時、黄色い帽子を被って幼稚園に歩いて通っていた幼い私の周りにも、祈るように見守る大人の目や、大切なものを守るように停まってくれる運転手さんがいたのでしょう。何千何万というやさしさに見守られながら、それとは気づかず、私は「生かされて」きたのです。
毎朝、黄色い旗を持って、子どもたちを見守る年配の女性がいます。「おはようございます。ありがとうございます」と声をかけると、「いってらっしゃい、お気を付けて。」と笑顔が返ってきます。
事故と同じ場所で、あの日の相手の運転手さんに遭遇しました。大きなクルマを停めて、自転車の学生を注意深く何人も何人もやりすごしているその人と、目が合いました。ウインドーを下ろして「お体は大丈夫ですか?」と声をかけられ「大丈夫です!」と返すことができました。ありがとうございます。そんな風に注意深く、自転車の学生をやり過ごす運転手さんの思いに、気づかないままに守られながら、若者達が通り過ぎていきます。誰もがそうやって、何も知らずに今日を始めるのです。
「生きてきたわけじゃない、今まで、こうして『生かされて』きたのだ」と、何度も考える、このひと月でした。
うつむいて歩く人もいます。生きるのが嫌になるほど思い悩んだりしながら一日を始める人もいるでしょう。けれど、そうして過ごしていく人生の一瞬一瞬もまた、実は当たり前ではなく、なにか大きな意志によって、与えられた奇跡の時間なのでした。
「有り難い」という言葉の意味がしみじみとわかる気がします。この言葉を産みだした先人もまた、同じような思いにかられていたのかもしれません。
あるいは あの事故もまた、与えられた奇跡なのでしよう。与えられた視点で世界を見つめ直し、与えられた時間を生きていこうと 今は思えるからです。