愛しいモノたち その5

ほどよく小さく、硬質な車体、目立たないけれど上品な白、かわいらしい涙目の顔、店の片隅に置かれたクルマに一目ぼれして、少し無理して買ったのは、14年前のことでした。それから私の生活はがらりと変わりました。

生まれて初めてのナビゲーション・システムは、方向音痴で地図が苦手だった私に、「どこにでも連れて行ってあげるよ」と約束してくれました。

初めてのETCカードを手に入れ、初めて自分のクルマで高速道路に乗りました。「どこにでも、ひとりで行けるんだ」という可能性を得たことで、自信が湧いて来たのを覚えています。

それから私は、急に大胆になりました。自分の街を飛び出し、九州中どこへでも、自分一人で移動し、会議やイベントに参加するようになりました。仕事で必要な資格を取るために、中国地方のある大学へ、集中講義を受けるために「ひとり合宿」をしたときも、このクルマが、私を応援してくれました。関門海峡を渡るのも、ひとりで知らない街で過ごすのも、このクルマとなら挑戦できました。

私は、ほんとうにこのクルマが好きでした。車検や修理のために、代車を与えられると、さみしくてこころが沈んでしまうほどでした。

朝、重いドアを閉め、がっしりとした車体に乗り込んで、低い音のエンジンをかけるとき、気持ちが高揚し、「さあ行こう」という気分になるのです。

どんなに知らない土地に行っても、イベントが終わり、ひとりで帰路に着こうとするとき、駐車場でポツンと私を待ってくれている、小さな白い車体を見つけると、まるで忠実な馬のような存在に思えてきて「お待たせ。さあ帰ろう。」という思いが湧いてくるのでした。

このクルマとの日々が、私をどんなに変えてくれたか、どんなに私を励まし、成長させてくれたか、それを思うと、いくら老朽化しても、次のクルマに乗り換えることなんてできない と思っていました。

けれどさすがに、12年目を超える頃から、エンジンがくたびれて、途中で止まってしまったり、異様な音がし始めたりするようになりました。その度に「そろそろ乗り換えませんか」と問いかけられ、「考えられません」と返してきました。

修理代がいくらかかろうと構わない、時間がかかってもこのクルマを治療し、回復するまで待ちます、そう言って何度も何度も修理屋さんに頑張ってもらって蘇らせてきたのでした。

「でも、やっぱり安全第一だから。もし高速道路で突然止まったりしたらどうするの。新しいクルマに乗り換えて欲しい。」と、家族から言われると、それもそうだと思うようにもなりました。クルマへの愛着が強すぎて、自分のいのちを危険にさらし、家族の心配の種になってしまうことにも気づきました。

2007年当時のままのナビゲーション情報、10年前に流行った曲が満載の音楽システム、私を励まし、支えてくれたこのクルマに、そろそろお別れしなければ、そう思い始めてずいぶん経ちました。

先日、新しいクルマの申し込みをしました。たぶん人生最後の一台になると思います。衝突安全性能のついた「いのちを守る」クルマです。きっと家族も安心してくれるでしょう。受注生産をモットーとするそのクルマは、納車に一年間はかかると言われました。その新しいクルマは、私の注文を受けてから、他の人の順番を待って、ゆっくりと作り始められ、やっと一年後に届くのです。「気が遠くなるほどの納期の長さ」と他の人は言いますが、私はむしろ、その時間を買ったのだと思います。

その長い長い待ち時間は、同時に、私の愛するクルマとのお別れの時間を意味します。いとしいモノとの別れの時間を、ゆっくりお過ごしください、それがあなたには必要でしょう そう言われたような気がします。

発注したその日から、私は、愛するクルマとの残りの日々が、一日一日減っていくことを感じます。

ハンドルにふれながら、サイドブレーキを外しながら、こころで話しかけています。

ありがとう。今まで本当にありがとう。お別れの日まで、まだまだ時間は充分あるよ。最後まで、大切に大切に乗るからね。大好きだよ。ほんとに大好きだよ。

 

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