クリスマスが近づくと、夢見がちな子どもだった私は、両親に「今年、うちにサンタは来るかな?」と聞きました。父も母も、「うちには来ないよ」と言いました。うちには仏壇はないけれど、お盆や暮れにはおじいさんやおばあさんの家に行き、仏様に手を合わせるだろう、そういう家にはサンタは来ない、父はそうきっぱりと言いました。私は、「そうなのか、だからうちにはクリスマスツリーもないのか」と、思いました。
ただ、たった一度だけ、まだ私が薪で風呂の焚き付けをしていた、あの木造長屋で暮らしていた頃、気まぐれなサンタが、私たちの枕元に立ち寄って、プレゼントを置いていったことがあったのでした。
それは、無造作にぽんと置かれた外履きのスリッパでしたが、クリスマスの朝、それを見つけたときの喜びを忘れることはできません。
うちにサンタは来るはずがないのに、あの日サンタが勘違いをしたのかもしれません。それでも私は、たった一度のサンタの気まぐれを、冬が来るたびに、思いだしました。朝、目が覚めると枕元に見慣れないものがおいてある、その不思議が魔法の様に子どもの心をわきたたせることを、私は知りました。あれが何かのまちがいであっても、サンタが気まぐれに一度だけ訪れて、もう二度と来てくれない存在であっても、私には充分でした。私はサンタに見守られ、応援されていることを信じました。当時私は 家族から「嘘つき」と呼ばれていたにもかかわらず、なんでもすぐに信じる子どもだったようでした。
大人になると、子ども達の為にサンタの活躍を願うようになりました。全ての子ども達がプレゼントを受け取ることは、とても難しいことだと思います。「うちにはサンタは来ないのだ」と言う家もあるでしょう。それでも、ひとりでも多くの子ども達が、クリスマスの魔法の力で、自分が応援され、祝福されるに足りる、輝かしい命なのだと知ってほしいと願います。宗教など関係なく子どもたちは、ただファンタジーを信じ、夢見ることが大切で それが「許される」ということだと思うのです。「信じることを許され 祝福された子どもだったという温かい記憶」・・大人になって 絶望しそうなときに力をくれるのは、そういう記憶のあたたかさなのでしょう。
さて、わが家では子ども達がプレゼントをもらい、クリスマスの朝に歓声をあげるようになりました。それが嬉しくて、私はまた来年もサンタが頑張ってくれることを祈りました。
あのころ2人はちょうど「ハリーポッター」の魔法の世界とともに子ども時代を過ごしていました。作者のJ・K・ローリングさんが、私と同じ年の、子どもを持った女性であることも面白い偶然です。
特に娘の方は、「ハリーポッター」の本を抱えてファンタジーの世界に入り込むことも多く、自分の11歳の誕生日に、ホグワーツ魔法学校からの迎えの使者が来るのだと信じていたようでした。
「信じること」と「夢見ること」は、子どもにとっての大切な権利だと、私は思っていましたから、わが家の子どもたちへの魔法も、彼らが「信じる心」を失わない限り続くのだと考えていました。
ただ、小学校も高学年になり、しだいに周りの同級生から、からかわれ笑われる年頃になると、彼らは次第に無理難題をサンタにふっかけるようになりました。手に入りそうにもないレアものをほしがりサンタを試すようになったのでした。サンタがメーカーに泣きついて頑張り、やっと届くことになったら、直前に欲しい品物を変更される、という泣き笑いのような事件もありました。
先に思春期を迎えサンタが来なくなった息子には、クリスマスの魔法にかかったままの妹を、そのまま見守る優しさがありました。そんな息子を嬉しく、誇らしいと思いました。
「だから私には、中学生の頃まで、サンタが来ていたんです。」と、大人になると娘は笑いながら知人に話すようになったそうです。子どもの頃、サンタやハリーポッターの魔法にかかっていたことを話すと、時々「うらやましい」と言われるそうです。
「うらやましいって言われたよ。お母さん」娘に言われた言葉を、私はこの季節になるととりだします。「クリスマスの魔法」について 笑いあい語りあえる子どもの存在が、私へのプレゼントなのです。
『嘘つきはドロボウのはじまり』と、親に言われた子ども時代を過ごした私に「ドロボウではなくて『クリスマスの魔法のはじまり』だったんだ」と、のちの人生が上書きをしたのです。
お前は悪くない なにもかも それで良かったのだと、誰かが私に「許し」をくれます。「許し」というプレゼントをもって、遠い国からやってくる人の姿を、この季節は想像することができます。キリスト教徒ではないけれど、これが「祝福」ということなのだと、私なりにわかったような気がするのです。