その居心地の悪さは、私におかしな空想癖をもたらしました。
もしかしたら、シンデレラの様に、みにくいアヒルの子のように、私だけがよその子なのかもしれない、私は、最後に幸せになるために今の苦役にたえるのだ。私は家のお手伝いを進んでする「よい子」になろうとし、なるべく母に気に入られるよう努力しました。普通の4歳児や5歳児では、考えられないほどの活躍ぶりだったと思います。
私はまず、たのまれてもいないのに流しの茶碗を洗ったりしました。ゴミ箱をひっくり返して(?)その上に昇り、洗い桶の中に沈んでいる茶碗を洗ったりしました。ある日失敗して茶碗を割ってしまったことがありました。それを母に見つかってしかられ、嫌われてしまうのが怖くて、裏のゴミ箱にこっそり隠してばれないように細工したのを覚えています。結局その日のうちに全ては母に発見されてしまい、母は困ったような顔で私をみていました。「子どもらしくないことをする子」あのときの母の困惑した表情の意味が、今なら分かるような気がします。
私は、母に好かれようとし、そのためにさらに疎まれてしまうということを繰り返していました。
その当時の我が家のお風呂は、風呂釜を焚いて沸かしていました。水道のホースで冷たい水を張り、八割方水をためたら止める、という見張りの仕事も、毎日の私の日課でした。「魔法使いの弟子」では、風呂を溢れさせてしまう弟子のおろかぶりが描かれていたが、あの頃の私も、全く同じ失敗を繰り返しては、母に叱られていました。いったいなんであの頃の私は、ああもぼんやりしていたのでしょう、空想癖が原因だったかも知れません。母はよく私を叱り、私の能力を心配しました。
打てば響くような頭の回転の速い姉たちに比べて、私は実にゆっくりと物事を考えるたちの子どもだったのでした。あったことを何度も反芻し、繰り返し思い浮かべていた子どもの頃の私は、端から見ればさぞかしぼんやりして見えたと思います。
その日も私は、気づくと風呂の水を溢れさせていました。例によって私は、母に叱られることを極度に畏れ、なかばパニックになり、何とかしてばれないように、事態を収拾したいと、幼い智恵を全力でしぼりました。そしてホースの端を水につけ、逆の端を口でくわえて吸い、高低差を付けることで水を落として溢れた水を調節しようとしたのでした。今考えると、自分でもなぜあの年齢であんなことを思いついたのかと驚きますが、大人のしているのを見て覚えたしわざでした。そしまた、なぜあんな行動をとるほどに、自分が追い詰められてしまったのかと驚きます。そうまでして私は、自分の失敗を母に見とがめられるのを畏れたのでした。そしてなんと、水を逆流させることに成功して安堵した私は、まもなく風呂が空っぽになるまで水を落としてしまうまで気づかず、結局またも母に大目玉を食らうことになるのでした。