「男が上に」という目に見えない毒による、自家中毒に苦しんでいる日本社会の姿、私にはそう見えるのです。「男は女の上に立たなければならない」と、誰かが刷り込んだ前世紀の呪いが、こんなタイミングであぶりだされ「どうするよ?TOKYO 大丈夫?」と世界の人から呆れられている、そんな風景です。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長の発言が、世界中に波紋を広げています。
森会長というひとりの日本人男性が、日ごろから感じている女性一般への思いをジョークで口にし、周りの人が笑う、その数秒間に対して、世界中の人が呆れ、怒り、こんなにも穏やかさを失っています。この週末は、何度も何度もこのニュースが、私の目に飛び込んでくるのです。
「私はいったい、何を『見せられて』いるのだろう。」と首をひねりながら一日を過ごしています。穏やかでいたいのに、穏やかでいられないのです。
「謝罪会見」と言いながら「辞任」を口にした記者を睨み据えて「すごみ」を利かせる会長の姿を見ながら、「こういうタイプの人に私は人生で何度も出会ってきた」と感じます。この人によく似た「男性で」「目上で」「上の立場の」人たちに、視線で、言葉で、空気で圧迫され、何度も何度も押さえつけられて「言いたいことを言わないように」「黙らされてきた」苦々しい記憶が、私の人生を貫いて、体の内側から不快感として湧き上がり、凪いでいたはずの私の心を震わせます。
「目上の人には、反論してはならない」「男は女に対して優位でなければならない」「女は男の前では、わきまえて、黙って従うのが賢い生き方だ」という、この社会に蔓延する空気を、思い切り吸い込みながら何十年も私たちは生きてきました。
「お前が女に生まれたのが残念だ」と最初に私に教えてくれたのは、男性である父でした。父は男性だから、年上だから、親だから、人として私より尊いのだと、何より先に私に教えたのも父でした。私は自分が女子として生まれてしまったのだから「わきまえて」生きるしかないことを、人生の早い時期に覚えました。社会に順応した女性として、上手に賢く生きようと思いました。
「地獄の教室」で私に体罰を加え、恐怖に屈して権力に服従するように洗脳したのは、あの会見での「すごみ」とよく似た空気をまとった、体の大きな男の先生でした。10歳の私にあの先生が教えたのは「目上の人の言うことには、絶対にさからうな」「空気を読んで、目上の人の言ってほしいことを言い、してほしいことをするのだ」という、この社会の要求でした。
以来私は、世の中のあらゆる目上の男性に対して、『踏んではいけない地雷』を見るような恐怖と、抑圧する存在としての息苦しさとを同時に感じながら、注意深くつきあってきました。
セクハラやパワハラ、マタハラを受けるようになった30代の頃、私たちよりも偉くて尊いはずの目上の男性は、なぜだかあまり尊く見えませんでした。
「男性は女性より立派で潔い」と教えられてきたのに、男性の多い職場でそのころ私をとりまいていたのは、数少ないながら励ましてくれる女性の先輩と、どちらかというと高圧的で、卑怯で狡い男性たちの姿でした。男性同士で諍い、女性と見れば圧迫する男性の姿に(聴いていたのと違うじゃないか。男の潔さ?どこが?)と、何度も思いました。
私の中に膿のように留まった「性別による親からの評価」への悲しみが意識の表面に出始めたのもそのころでした。
もう少し歳を重ね、あるとき気づいたのは、高圧的な男性たちも、実は「男のジェンダー」という目に見えない毒を、子どもの頃から盛られていて「男だろ! 女々しいぞ!」と煽られながら、その枠に縛られながら、苦しみながら生きていることでした。
体罰をしてでも子どもを支配したかった教師も、組織のトップにならなければ男じゃない、高い地位を得たら、そこから絶対に降りてはならないと自らを追い込むボスも、人生のどこかで「 強くなるんだ。負けちゃだめだ。勝って勝って、てっぺんに立つんだ。」と誰かに言われ、それを忠実に守らなければ生きられない というこだわりに縛られてきたのではないでしょうか。
森会長の、威勢の良いその姿が、私には、なぜだか つらそうに、苦しそうに見えるのです。その姿は、もはや私を威圧せず、むしろ見ていて可哀想に感じます。「なんだ。正体はこんなものか。」と種明かしをされたような気分です。
幼い頃から私を圧迫していた「男が上に」という呪いの正体は、実は薄い鎧で覆われた安っぽい代物だったと、畏れるに足りない相手だと、私に教えてくれるために、彼はカメラの前に立ってくれたのだと思います。そして、彼を取り巻く多くの男性もまた、同じ働きをしてくれているのです。
「お辞めなさい」と、年下の人にはいくらでも言えるのに、今回は黙って口をつぐむ「ご意見番」の有名人たちは、いま自己矛盾に苦しんでおられるのでしょうか。それとも「目上には何があっても絶対にご意見してはならない」という「男社会のルール」に従う限り、そこに矛盾はないのでしょうか。
「女性が入ると会議が長くなる」のは、「目上に絶対にご意見しないという男社会のルール」を、女性たちが一蹴するからなのでしょう。
「ご無理ごもっとも」と言える男性と「わきまえた女性(意見を言わない女性)」だけが大会組織の上層部を占める、そんな日本の姿は、世界をかけめぐりながら、傷みながら、その膿を出そうとしています。
いま、私が見せられているのは「男(女)性である前に人として」人として「どう生きるか」という問いに対する「新しい答え」に向かって一歩踏み出そうとする人々の「産みの苦しみ」なのでしょう。
「あの発言は不快だ」と示している人々の世論は「性別は関係なく『人としてより善くありたい』」と願う これからの世界の方向性を示しているように感じます。
今回の発言を受けて東京オリンピック委員会は「復興に重きを置き、大会後の社会の在り方にもレガシーを残すように取り組んで参ります。」という謝罪文を出していますが…。
「あの頃は、男が上に立つことに妙にこだわっていた人類がまだいたよね」「マイルールだったみたいよ。不自由そうだったけど」
そんな風に振り返るだろう未来を思うと、もう充分だと思います。世紀末からのレガシーとして TOKYOが語り伝えられることでしょう。