「こころの休憩所」。

2013年の春、私は7年間の年限のため、障がいを持つ子どもたちと、同僚の仲間のもとを離れ、新しい職場に転勤しました。さびしいと感じていました。ずっと体調がすぐれず、ひどい腰痛を抱えていました。新しい職場に慣れず、すぐには新しい仲間もできませんでした。周りの人を信じることも、ありのままの自分を出すこともなく日々をすごしていました。いま思えば、あのころは、実家と断絶した自分を恥じ、みじめさと罪悪感を持っていて、本当の自分を隠すことに精一杯で、世界に対して、こころを開いていなかったのかもしれません。常に緊張して神経をとがらせ、夜も眠れないような日々が続きました。ひどい腰痛も体調不良も、ストレスからくる不調だったのだと今は思います。

あのころの私は、ふっと「死んでしまう」「死んでしまう」という言葉が、気泡のように意識の中に湧いて出てくるのに困っていました。この「死んでしまう」って、なんなんだろう?この耳鳴りのような思念が、こころを覆い尽くしている原因を捨て去りたいと思いました。そのために「こころの疲れを癒す方法」を知りたい、と思いました。「こころが晴れる」という経験を、死ぬ前に一瞬でもいいから味わってみたい、とまじめに考えていました。

転勤から一年たった二年目の春、私は職場の「こころの相談室」の係を希望しました。「こころが疲れている人」が、「一息つくことのできる休憩所」のようなものを作り、その場所の管理人になりたいと思ったのです。私の申し出に、上司は「そういうのが必要だと思っていたよ」と言ってくれました。もちろん、本来の業務と並行しながらのお仕事ではありますが、「人のこころを大切にする」という役目をしてみたいというのが、私の願いでした。

そうすることが、自分自身や、亡くなった伯母の魂を癒すことにつながるような気が、どこかでしていたのでしょう。私は何かの啓示を受けた人の様に、かなりの行動力で、「こころの相談室」をたちあげました。2014年の春のことです。

職場の片隅に、永年物置となっていた部屋がありました。そこをひとりで掃除し、ソファーセットを整え、私物の絵や観葉植物を持ち込んで、いごこちの良い空間にしていきました。訪問者にお茶を出せるように、湯沸し用のポットを置きました。

私には、自信も見通しもありませんでした。心理に関する専門的な知識も技もありません、それでも、そうせずにはいられないような気持に突き動かされていました。この広い世の中に、さまざまな理由でこころを痛めている人がいるのなら、その誰かのために、何かをしたい、「こころを大切にするために」そのための一歩を踏み出したいと願っていたのです。

4月におみせびらきをして、しばらくして5月になると、人がやってくるようになりました。

ドアをノックしてくれる「こころが疲れている人」たちは、時には何気ない様子で、時には泣きながら、時には疲れ切って部屋を訪れました。

「いらっしゃい、まあ座って」とソファをすすめます。「何を飲む?」という問いかけ以外、なにも聞かずに、ただ黙ってお茶を入れます。話したいことがあれば聴くし、ただ泣きたいときは、ティッシュボックスと屑入れを差し出しすだけでいい、泣くためだけにこの部屋を使いたいのなら、そうすればいい、人生には、ただ泣く場所が必要なときもある と思っていました。

もしも、その人が、つらい気持ちを話してくれたら、「きついね」と言い、悔しい気持ちを話してくれたら「ひどいね」と一緒に怒る、私にできるのはそれだけでした。

私は、「こころの専門家」ではないから、それ以上のことは、いまもできません。

ただ、私は「自分がそうしてほしかったこと」を、誰かにしてみたかったのでした。

かつての私には、こうして、私の話を「ただ聴いてくれる大人」はいませんでした。お説教や助言や示唆は、もう十分すぎるほど与えられてきたのですが。

私の反抗に対して両親は「お前はなにを考えているのか?」のひとことを一度も発しませんでした。「どんな気持ちなのか」「なにを感じているのか」そんな質問を、生まれてから一度もされたことはありませんでした。だからこそ「本当はきいて欲しかった」という気持ちが、私にはありました。だから、目の前のひとの気持ちを「ただ聴く」ことに専念したのです。「あなたの気持ちを聴きたい、あなたの思いをわかりたい」という姿勢が、最高の贈り物であることを、私は誰よりも知っていたからでした。

そのころの私をはげましてくれたイメージの人として「モモ」であるとか、まだご存命だった「森のイスキア」の佐藤初女さんがいました。私にできることは、「ただ、無心に傾聴すること」。ひとがこの世で生きるつらさ というものを知り、誰かのそれを受け止めることを始めたのでした。今から6年半前の春でした。

 

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