Please just live(ただ 生きて)

今回の新型コロナウイルスによって、私たちは、いままで経験したことのない世界を目の当たりにしています。

なにより驚いたのは、今までの常識が、つぎつぎにくつがえされていくことです。

「人は、朝起きたら家を出て、働きにいかなくてはならない。

学齢期の子どもは学校に行き、同世代の子どもと机を並べて学ぶものである。

家にばかり籠っているのは良くない、人と交流する社会性を持たなくてはならない。

景気が良いのが一番だ、観光客と消費行動で、経済を回さなくてはならない。」

生まれてから、ずっと正しいことと思い、疑いもしなかった当たり前の数々、それらが突然、通用しない世の中になってしまいました。

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イマジン

新型コロナウイルスの影響で、沖縄での会議がなくなりました。大好きな仲間に会うことを楽しみにしていたのですが、残念です。

このブログを自分で振り返って思うことは、学校に向かう子どもたちに心でエールを送ったり、人と集まることを楽しんだりしたことが、いつのまにか遠い日々になってしまったということです。あんなふうに何気ない日常を送ったことが、ここまでいとおしく、貴重に感じる日がこようとは思ってもみませんでした。好きな時間、楽しい記憶が、今は宝のような日々に思えます。

さびしくて、不安な時を、どう過ごすか。私の場合は、「楽しかったときを思い出す」という方法を試してきました。

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自分レスキュー その3(再生=Reborn)

次のカウンセリングの日、私は再び木造校舎の畳の部屋にいました。

今回は、「再生」の再決断療法の日でした。

私は、「生まれたばかりの私」のそばにいました。実際には赤ちゃんはいないのですが、畳の上に、赤ちゃんを寝かせている「つもり」で、そこを見つめていたのです。いわば「エアー赤ちゃん」でした。でも不思議なことに私には、その赤ちゃんは自分自身であるという感覚がありました。

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自分レスキュー その2(ラプンツェル、髪を切る)

はるさんは町から少し離れた山里に、パートナーの「ダイキさん」と、猫とともに移住して暮らしていました。臨床心理士として働きながら、こどもたちのための研究所の所長もし、一方で、海外や全国に出かけて、心理療法を学び続ける人でした。多忙な彼女に、個人的な申し出をひきうけてもらった私は、ある意味、幸運だったのかもしれません。

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自分レスキュー その1(はるさんとの出会い)

5月のよく晴れた日でした。正面玄関のドアの向こう側から、彼女が現れたとき、空気がぱあっと明るくなるような感じがしました。

薄紫に染められた、麻のワンピース。自然素材のアクセサリー。素顔なのにぱっと人目をひくたたずまい、やわらかい物腰、いきいきとした声、空気感、笑顔。

私は、一目彼女を見た瞬間に、「探していたのは、この人だ。」と思いました。

2015年の初夏のことです。

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わたしたちの危機  その1

私たちにとって、最大の危機は、2013年の冬でした。今からちょうど7年前のこの季節です。寒い冬でした。はりつめた風船が、あと少しで破裂してしまうような、はりつめたゴムひもが、やがて弾力を失ってしまうような、そんな風にたがいに追いつめられていました。私も夫も、仕事がきつく、余裕のない、ぎりぎりの生活をしていたのです。

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むしろ855525問題(!?)

若い子が、交際している恋人と「結婚したい!」と考えて、その思いを親に伝えました。親世代は55歳前後、この親たちが、その結婚を応援したいと考えても、85歳前後の「祖父・祖母」が、「孫の姓が変わること」や「相手が気に入らない」ために、この結婚に反対したそうです。最近の85歳は、なぜかとてもパワフルで発言力が衰えず、55歳は85歳に逆らうことができません。当時25歳の若い子は、大切な祖父母の意見を尊重するように育てられていました。そしてついに「結婚をあきらめる」という悲劇がありました。これを私は「855525問題」と呼びたいのです。「8050問題」に匹敵する、むしろそれにもまさる、深刻な社会問題だと思うからです。

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あなたのことをわかりたい

「あの子たちのことは よくわからない」。

思春期の、やる気のない、ふてくされた女の子を見たときに、私たち大人は、つい、そう思ってしまいます。「あの子たち」の反抗や攻撃的な言葉に、プライドを傷つけられるのが怖くて、「わからない」という一言で、考えることから逃げ、関係を遮断してしまうことが、あります。

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イミテーションの花

この家に住み始めて、もう20年になります。当時は田んぼの中でしたが、今ではすっかり住宅地になって、あのころの私たちのような「子育て家族」が次々に移り住んできました。だから、この辺りでは、近所の家々から、いつも小さな子ども達の声が聞こえます。小学校に向かう子ども達が毎朝、決まった時間に、我が家の家の前を、通っていく姿を見ることもできます。小さい体に大きなランドセルを背負って、たいていは少し緊張した表情で、子ども達は歩いて学校に向かっています。「いってらっしゃい」と心につぶやきながら、その姿を目で追うことが、毎朝の私の日課です。そして自分も仕事に出かけるのです。

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新しい日々を生きる~慣習を手放す~その2

 

冠婚葬祭でも、その土地土地に古くから伝わる独特のしきたりがあるようです。

例えば、沖縄地方のお葬式では、男性はこちら、女性はこちらという風に、別々にご案内され、それぞれ分かれて指定の席に座るそうですが、これは、沖縄ならではの、とてもめずらしいしきたりだと思います。

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新しい日々を生きる~慣習を手放す~

元旦です。一番新しい日です。ほんとうは人生のすべての日がそうなのだけれど、今日のような日付の日は、特別な実感が湧いてきて、わかりやすくて好きです。

2020年が明けました。2000年代を迎えることに大騒ぎをしたあの日から、「もう20年経ったのか」というのが正直な実感です。21世紀になって、20年も経ったのだから、前世紀の、重苦しい慣習なら、そろそろ手放したいと思う今日この頃です。

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ひきざんのまま 年の瀬を

庭の白木蓮の樹も、ほとんど葉っぱを落としました。2019年がもうすぐ終わろうとしています。「反省なし、ダメ出し禁止」の原則で、ただ、穏やかに自分自身や周りの人をみとめながら今年を終えたいと思うのです。よくがんばったね。よく今年を生きたね、と。

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